吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

殺意と共に生きる

メンタルを病んでいると「死」に対する思考は日常的で

自分に対しての攻撃性、つまり「私なんか死ねばいい」と思いやすい。

些細なことで思いやすい。

 

そして私の場合死にたくなる理由は「嫌いな人だらけのこの世界が嫌い」だから

私をここまで追い詰めた嫌いな人に対して「お前が死ね、お前も死ね」とも思う。

そういう時に忌み嫌っているのは嫌いな人と共存する世界であって

どちらかが消えれば解決するという思考だ。

具体的に殺すことを想像することはなく

実際は「いなくなってくれないかな」くらいのただの憎しみなんだけど。

自分の手を汚さないなら呪いが効いても後悔しないくらいの強い憎しみ。

目の前でぐちゃぐちゃの死体を見るくらいなら対価でもいい。

 

先日、鬱々としながらぼんやり歩いていた時

ふと「死ね」と口に出してぼそっと呟いてしまったら

前を歩いていた綺麗なお姉さんがとても驚いて振り向いた。

そりゃそうだよね、突然の自分への殺意を感じたら警戒するよね。

そんなに深い悪意はなくて私の日常がこぼれただけだったけど

私が思っていた以上のリアクションをされたので私も驚いた。

ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだよ。

 

お正月に実家に久々に帰って自分の部屋を懐古していたら

22年間大切にしていたものが見つからなかった。

1年前までは確かにここにあったと把握しているくらいの大切なもので

この1年の変化と言えば、父が単身赴任を終えて実家暮らしに戻ったことだ。

隣の空き部屋を父が自室として使うようになり

暇を持て余して私の部屋まで勝手に掃除や整理をしたのだろうと察した。

 

今は住んでない実家であり、家主は父である。

本当に大切なものならば、自分の家に避難させるべきだった。

そうは思っても捨てられていい物だけを実家に残した覚えはないし

これが初めてではなく、何度も勝手に触らないで欲しいと訴えてきた。

つい先日も父に勝手に捨てられたものに気付いて

腸が煮えくり返る想いを押し殺しながら帰省したというのに

また、こんなすぐに再発するなんて。

 

もう二度と手に入らない大切な宝物を失ったロス感だけではなく

こんな家庭に身を置かねばならない不快感で憎悪が膨れ上がる。

忘れていた過去の憎しみにも火がつく。

これだから嫌なのだ。これだから苦痛なのだ。

これだから、これだから…

 

darksunday.hatenablog.com

 

父を問い詰めると「捨ててない」と言う。

最初に保身に走る。

「あんたはそういうのうるさいから絶対触ってないよ」と。

でも問い詰めているうちに「覚えてない」「じゃあ捨てたかも」に変わり

最終的に認めて「ごめん」になった。

 

この強引に言わせた謝罪にどれだけの重みがあるだろう。

きっとまたすぐにこんなこと忘れて同じことを繰り返す予感しかない。

今回はうまく謝罪に持ち込めたものの、私に少しでも隙があれば逆切れするし

今はその話してなくてもとにかく自分が優位に立つために

全力で怒鳴り散らしながら私のことを責めるのが父のやり方だ。

私の顔に人差し指を向けて、ツバを飛ばしながら。

 

あまりの絶望に殺意が湧いた。戻ってきた、と言うべきか。

未成年だった頃、私の日常にあったものだ。

大学進学と共に家を出ることに一切躊躇いがなかったのは

東京の方が趣味が充実するという理由だけじゃない。

逃げ出したくて仕方なかったからに決まってるじゃないか。

大嫌い。大嫌い。大嫌い。大嫌い。大嫌い。大嫌い。

私を縛り、私を嬲り、自分の物差しで私を操ろうとする親なんて

死ねばいいのに。

 

6歳になる可愛い可愛い姪っ子に、父(姪の祖父)は早速嫌われていた。

母は「真剣に向き合ってないですりすりだけしようとするのが伝わるんだよ」

と父のことを分析していた。

ざまぁみろ。

 

実家にいるのはいつも3日で限界を迎える。

限界を迎える前に去りたい。

こういうとこ嫌だなと思う親の短所は割と大体引き継いでいるんだ。

だから自分のことが遺伝子ごと根っこから忌々しく思うんだ。

そして殺意は再び自分に向かう。