吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

ゆるやかな毒親

『ベイツ・モーテル』という海外ドラマにハマって怒涛の一気見をしたんだけど

連続猟奇殺人のホラーでありながら精神的な描写がとても細かい物語で

グロさやハラハラよりも悲しみがじんわりと広がっていく感じだった。

救いのない悲劇の話だったけどある意味ではハッピーエンドで

余韻が強すぎて今とてもロス感に襲われている。すごくいい作品だった。

 

軸は母と息子の親子関係。

母は息子を溺愛するあまり支配的で

息子を守ろうとするあまり色んなルールや人の意見を無視する。

良い子に育てるために女手一つで必死に愛してきた。

ヒステリックでキレると手が付けられない程喚き散らすけど

心の底から息子を溺愛していて過剰なほどスキンシップを取る。

 

息子は18歳。

そんな母親と2人の世界だけに生きてきたせいで

母の許した人でないとコミュニケーションを許されず

同年代ではありえない程母にべったりなマザコンと化した。

母親の言うことは絶対。反抗はするけど結局従うことになる。

 

母が息子を束縛して付き合う相手を厳選して許可したように

息子もまた母が新しい恋をしようとすると嫉妬して邪魔をする。

そうして破滅的に殺人を重ねていくんだけど

私が気になったのは色んな口コミを読み漁っていた中で

この母親を「毒親」と表現する人が多かったことだ。

 

私は毒親の定義がいまいち明確に理解出来ていなくて

母が子をがんじがらめに管理するのは当たり前にも思えてしまった。

それは我が家では当たり前で、それが普通だとずっと思っていたから。

だけど最近になって昔を思い出して苦しくなるのは

親の教育方法に問題があったように思えて違和感を覚えていた中で

同じようなケースを見た第三者が「毒親」と言っている。

衝撃でありながら、納得もしていた。

そして、それを自分の母親に伝えて罵りたい感情も芽生えた。

 

ドラマの中で、息子はどんどん異常性を増していって

キレると意識が飛び、違う人格が出現するようになる。

もう一人の人格は、彼が作り出した母親像だった。

弱い自分を守るために、愛するために、常に側にいてかばってくれる存在。

母親が新しい恋人と結婚したことを受け入れられず

旦那が出来たら自分への愛が減るのではないかと恐れ

どんなに周囲が否定し、母が愛を告げて抱き締めてもそれは通じず

「永遠に二人でいるために」と息子は無理心中をはかった。

しかし母だけが死んで自分は助かってしまう。

心中しようとしたことも記憶になく、母がしたことだと思い込み

母の死すら受け入れず墓を掘り起こして遺体を自宅へ運び

幻想の中で母と会話し、母と共に生き続けるサイコパスとなった。

認めたくない現実が膨らむほどに人格交代と幻想症状は悪化し

終盤はもうずっと幻想のシーンばかり。

 

私にはそこまでの激しい症状はないけど、心理傾向としては十分理解出来ることで

現実を受け入れられないから代わりに誰かにやって貰おうとするのもそうだし

見たいようにしか現実を見ない、というのは割とありふれてるように思った。

私は偶像崇拝の節が強いし、最初に好きになった一面だけを愛で続けたい。

神様は神様でいて欲しいという欲求はこれに近いんだと思う。

 

「信じる者は救われる」ってよく言うけれど

現実は1つしかないのに

希望を持って生きるために現実じゃないかもしれないことを信じようとする

それがこの言葉の真意だと思ってる。

 

例えば家にGが出て一瞬その姿を視界に入れてしまったけど見失った時

「きっと見間違いだ、この家にGなんていない」と信じようとすれば

クリーンな家にいる気になって恐怖感から脱せるけれど

実際はいるのだから信じたってそれは現実ではないっていう。

そういうのってありふれてませんか。

 

母が私に育児の苦労を語った時

「私の可愛い良い子ちゃんがダメになっちゃうって必死だった」と言っていた。

私が既に完璧じゃなかったことを母は受け入れようとしなかったから

私の個性すらも圧し潰すことに必死になってしまったんじゃないだろうか。

好きなものを否定され、母の好みのものを押し与えられ、それ以外は取り上げられ

強制的に支配されて育った。

 

このドラマの母親は「溺愛とヒステリック」という相反する二面性を持っていて

愛してると言うのも本心だし、ヒステリックに怒鳴り散らす程怒り狂うのも本心で

後者をぶつけたら前者の愛の信用が落ちるっていう感覚がない。

だからそれを頻繁に繰り返し

怒鳴り散らしたかと思えば抱き締めてキスして謝り「愛してるわ」と平気で言う。

だから息子もそれに慣れて育っていく。

私の家でもずっとそうだった。

ここまでベタベタなスキンシップや愛の言葉じゃなかったけど

感情のままに全部ぶちまけて、それを吐露したことで何かが壊れるなんて発想がなく

食事の時間になれば食事の支度をし、朝になればおはようと言って

タイムテーブルで強引に水に流して争いをなかったことにする傾向があった。

 

それが普通だと思って育ってきてしまったから

外の世界に出て友人や恋人と喧嘩した時に価値観が合わなくてとても苦労をした。

私は困惑して落ち込む方へ進んだけど

方向を間違えば私もこのドラマと同じように癇癪を起こして

物理的攻撃に出たのかもしれない。

だからこのありえないサイコドラマを他人事だと思えずに見ていた。

 

毒親の毒は即効性がないのかもしれない。

それが毒であると気付かぬうちに心に巡っていく。