吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

歩み寄り

有名なWeb漫画家のやしろあずきさんという人が好きなんだけど

何が好きってギャグセンが高いのやファンとの距離感は勿論

母親に感謝して教育方針を皆に開示しているスタイルに憧れている。

うちの母はこんなに素晴らしいことを教えてくれたんだよ

だから皆もこうやって生きると生きやすくなるよって教えてくれる。

ないものねだりでありながら、憧れるんだ。

 

母と僕の「親子の歩み寄り」の話

http://yashiroazuki.blog.jp/archives/19410670.html

 

当の息子は黒歴史だらけで本当は人に話せるような立派な人生じゃないんだけど

(角の立たない自然な統率力はすごいと思う)

子供って、人間って、所詮みんなそんなくだらない生き物で

周りの人にいっぱい迷惑をかけて、歩む道を間違えそうになったりする

そんなどこにでもいる男の子のお話。

それを明るい笑い話として外に出すエネルギーに変えてくれたのが

驚異的理解者の母親だったように思う。

 

自分が好きなものの話をした時、親は当然それを好きじゃないし分かりもしない。

だけど「それはどういうものなのか」と興味を示してくれるって単純に凄い。

うちではそんなことは絶対ありえなくて

パッと見の偏見で全否定されて「そんなもの好きなんて頭がおかしい」と言われた。

その趣味に費やす時間を無駄と罵られ

PCのデスクトップに画像を設定したら2時間の説教をくらい

バイトして買った憧れの人に寄せた服は勝手に捨てられ

亡くなって悲しみに暮れていた時は「そんなくだらないことより勉強しろ」と言われ

私は母に心を閉ざす以外になかった。

 

好きなものを分かち合える同士が欲しかった。

誰だってよかった。

近くにいないから遠くの同士と文通をして、好きなバンドに想いを馳せて

現実世界では誰とも理解し合えなくて孤立していった。

当時のビジュアル系は今よりずっと先鋭的だったから愚弄する者が多かった。

でも世界中のどこかには同士がいたから心の支えがあった。

敵と味方が明確に分離していく。

もし親が少しでも興味を示してくれたら、絶対こうはならなかっただろう。

周りに何組かいる「親子でファンなんです」というタイプがただただ羨ましい。

 

今プライムビデオで無料公開中の『エンドレス・ポエトリー』という映画がある。

公開当時、あまりの感動に映画館に何度も足を運んだ程気に入っている作品で

ちょっと特殊な造りのアーティスティックな映像作品。

詩人を夢見た少年が親の抑圧から脱走して芸術家たちが集まる場所へ行くも

植え付けられた親の脅迫からなかなか逃れられず苦悩したり

同じ夢を見る者の自由さに胸が躍ったりするストーリー。

それを大迫力のカラフル(本当に)な映像で味わえる。

 

同じ詩人を目指すエリンケと友人になるシーンが私は大好き。

部屋中に思いついたフレーズを書き留めたメモが貼ってあるんだ。

壁も天井も床も空と同じ青で、メモだけが白い。

まるで空と雲のようで、自由の象徴を描いた空間に私は何度も涙した。

このシーンで泣けるっていうことは、ずっと心に迫害を背負ってきたんだと思う。

自由が羨ましい。自由が欲しい。自由に恋焦がれる。

戦後を生き抜いた人が当時高価すぎて手が出なかったメロンに憧れ続けるように

大人になって今どれだけ自由を手にしても子供の頃飢えたものは永遠に憧れたままで

私は憧れに縛られ続けるのかな。

 

この映画は最後の最後で親が謝罪し、親をぶんなぐって和解するのだけど

罪悪感のない親は謝罪の理由を見つけられないだろう。