吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

悲しみの手招き

先日、寝ようとベッドに入ったら悲しさが込み上げてきて眠れなかった。

それは日中無意識に蓋をしていた悲しさで

起きている間はポジティブな殻を被っていたんだと気付いた瞬間でもあった。

あまりに悲しくて泣いても泣いても涙がとまらないので

一旦落ち着こうとスマホでゲームを始めると一瞬で止まる涙。

よしじゃあ寝ようじゃないかとスマホを置くと一瞬で泣きだす不思議。

まるで抱っこしてないとギャン泣きする赤ちゃんのようで

スマホを持ったり置いたりを繰り返すことが実験のようだった。

 

思考を解き放つと一瞬で闇が手招きする。

何かに意識を集中しようとすると無意識に理性が思考を制止する。

不思議な仕組みだと思いつつ、私が起きていながらに魘される感覚というのは

この原理なんだろうなと気付いたりした。

いつも力いっぱいグーを握っている手を開いたら苦悩が溢れ出ていくような。

でも拳を握っている時は中に苦悩があることを把握していない。

 

特に誰に何をされたとか誰と関わった嫌な想いをしたわけではなく

今回のことは全て私の想像に過ぎない。

今はほぼ廃れたファンサイトというホームページ文化を未だに持っていて

その更新作業を久々にしてたんだ。

若気の至りがありあまる表現や怖いもの知らずで顔を晒していたコンテンツには

結構前に鍵をかけておいたんだけど

それらの修正作業や、新しいコンテンツの制作を時間をかけてやっている中で

「これは公開していいものだろうか」の悩みが付きまとっていた。

 

今のネット社会は「ネッター」「非ネッター」なんて言葉を使ってた時代と違い

皆が手厳しくバッシングのネタを探している印象。

昔は共通の趣味の人を見つけると嬉しくてすり寄っていきがちだったのに

最近じゃ一方的に鑑賞だけして感想やリアクションは述べない人が殆どだ。

つまり、発信者のメリットってほぼなくなっている。

それでも自分の中で「こういうものがあったらきっと面白い」と思いつくと

形にしたくなる性格の私はとりあえず実行に移してみる。

でも作業をしててやっぱり負けそうになるよ。

友人は「気にしすぎるとあんたの良さがなくなっちゃうよ」と

優しい言葉をかけてくれたけど

皆が皆、友人のように私の良さに着目してくれる人ばかりじゃないと思う。

 

きっとあれもダメ、これもダメ、こう書いたら不愉快に思う人がいる

それが極論になると「隠さないといけない自分の否定感」に変わって

皆が自分をいじめているような気持ちになって。

視線が怖い、居場所がない、敵だらけ、嫌い、そんな感覚でいっぱいになる。

自殺欲求とは少し違うけど、久しぶりに死ぬことを具体的に想像したりもした。

 

1つ前の記事に書いた通り、私は自分から悪口を見に行ったりしないけど

時間をかけて渾身の努力を形にしてやっと発表した時

誰からも何もリアクションがなかったら自信を失うに決まってる。

閲覧数だけは立派にあったら余計に

どこかで皆が悪い評価をくだしてるんじゃないかと思ってしまう。

そう思うと発表する勇気も萎む。

かつては何か発表する度に怒涛の感想メールを貰って

中には感激して泣いたとか

私のおかげで価値観が変わったと言ってくれる人までいたけど

時代背景も含めて今の私にそんな影響力があるように思えない。

 

最早なんで泣いてるのか分からないくらい混乱してぐちゃぐちゃになって

眠気なんてどこにもなくなってしまったので

レキソタン5mg飲んで更に30分泣いて、合計1時間40分くらいだろうか

苦闘の末にようやく眠ることが出来た。

 

翌朝一応目は覚めたけど鬱モードがずっしり残っていて出社する気力なし。

幸いテレワークに切り替えて貰えて出勤扱いになったから

空き時間にちまちま仮眠をとってたけど、無気力感がすごくて座ってるのも辛い。

仕事が終わって倒れ込むように寝て、21時過ぎにようやく復帰。

身体が爆音で警告音を鳴らしていたのがやっと止まった感じがした。