吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

未来の味方

先日6回目のカウンセリングを受けた。

日中のメンタルがほぼ安定しているのでそんなに話すことがなくて

沈黙になってしまうことが何度かあった。

 

話題の中心は家族のこととそれを夢に見ること。

夜驚症もどきが続いていること。

最近本当に夢見が悪い。

助けを請う自分の寝言で目を覚ましたりする。

医者に相談したら薬を増量されたけど全然効果がない。

今朝も車の助手席で血の垂れる生首を抱える怖い夢で起きたけど

割合的には妹に責め立てられる夢が多いと思う。

 

カウンセラーは「うまく過去を切り離せるようになるといいですね」と言うけど

どうやったらそれが出来るようになるのか分からないまま。

文章にしてみるのはとてもいいけど

ブログとなると批判の声がとんできたら傷ついてしまうから…と公開を心配された。

この界隈はそっと読んでる人が多い手応えだから私は心配してないけれど。

 

「文章に書き出してみてどうですか?」と聞かれたけど回答に困った。

気持ちが理路整然としてスッキリするかの問いはイエスと言えばイエスだけど

そんなに明確な爽快感の実感はない。

私はただタイピングが好きで書く内容を探しているという方が正しいかもしれない。

記録マニアなので、自分の記録を残しておきたいというのも理由の1つ。

刹那というか。

その時のことを形に出来るのはその時の自分だけだからっていう

そのことに割と強い価値を感じているところはある。

 

後から読み返した時に強く感情移入できるのも自分ならでは。

否定的な感情であればある程その場には共感者を見出しにくいけど

同一人物でありながら違う角度から語る自分に安堵させられたりするのだ。

周囲の肯定圧力のせいで自分を否定しそうになった時に

過去の自分の想いに救われたことが何度もある。

 

この世の中は生きづらい。

どこに行ってもいい人間が求められる。

それは当然だと思う。

私だって求める側に立つなら優しくて包容力があって肯定的な人が欲しい。

だけど求められる側にいる時、そんな完璧には振舞えない。

 

だから毒を吐く。

いい人になりきれないダメな自分を吐き出して固形化する。

その固形物と出会いたいんだ。

唯一の仲間として、孤独を拭う術として。

変だろうか。

 

誰にも分かって貰える気がしない。

でもどこかに理解者いるのかな。そんな気持ちで言葉を紡ぐ。