吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

絵本『つまんない つまんない』

通院をやめることも考えたけど新しい病院を探して予約をとった。

就活と同じで、回数を重ねると明確になるものがあって

自己分析や自分が何を求めてどうなりたいかのビジョンを見越して

アクションを起こすようになる。

予約の取り方も初診時の問診票に書くデータの下準備も慣れた。

 

食欲もあり、睡眠もとれて、活発に遊ぶことも出来る。

満員電車にも乗れるし、仕事もちゃんと出来る。

だけど、ふっと心がからっぽになってすべての意欲を失って

動けなくなったり人ごみで泣いたり悲しくて眠れなくなったりもする。

何が悲しいのか何も分からないことも多い。

重症か否かを日常の時間で計算するなら至って軽度だけど

元気な時の自分とは違う自覚、いつでもふらっと死ねそうな感覚は

このまま放っておいたら本当にずっと苦しいままなんだろな。

 

極論、いっそ死んでしまってもいいのだけど

苦しみながら生きるのが嫌だからなんとかしたい。

薬で対処療法するんじゃなくて、根本から治したい。

好きなものを手放さずに。

自尊心を持ち直すお手伝いをして貰えるなら

ちょっと高い治療費を出してもいいんじゃないかと思うようになった。

 

今度の病院はどうだろうか。

カルテを見て淡々と「処理」する医師でなく

私の目を見て、一生懸命ベストな方法を模索してくれる人に出会いたい。

 

最近は仕事終わりにお買い物するのがブーム。

本当に必要なものではない無駄な浪費の予感もあるんだけど

こんなものが生活にプラスされたら私は楽しく生きられるかなとか

ちょっと夢を見ながら色んな商品を眺めて

欲しいと思ったものをすぐに手に入れられる満足感がある。

多分いきすぎると買い物依存で借金抱えたりしそうだけど

単価の低いものや食べ物での贅沢だからまだ今のうちは大丈夫だろう。

 

でもどこか虚しくて、何が欲しいのか分からなくなったり

こんなものでは自分を満たしてくれないと悲しくも思ったり

次はどこへ行こうか、帰ろうか、何をしたらいいのか…と

次第に心が不安定になって来て歩くペースが激遅になってゆく。

行き交う人ごみに孤独を感じながら

「楽しくないなー」ってうつろな目でトボトボ歩く。

 

トイレを借りるついでに入った本屋さんで

『つまんない つまんない』っていう絵本が目に入ったので読んでみた。

でもそこに描かれる「つまんない」は退屈っていう意味で

私が思うつまんないとちょっと違うような気がした。

 

楽しいことが「つまっている」の対義語の「つまんない」じゃなくて

心の中がからっぽで「何もつまっていない」なのかな。

 

すっごく楽しいことがあったり、感動したりして

ちゃんと心は生きてるんだよ。

だけどそれは手に取った雪のようにすぐに溶けて消えてしまって

心の中に積もっていかないの。

詰まらない。つまり、無い。

 

最近は本当に自分が人間の形をしていることに違和感がある。

ぐちゃぐちゃになりたくなる。

痛いの嫌だし肉ミンチとか趣味じゃないし現実的じゃないけど

自分を嬲り殺したいくらいの肯定感のなさというのか。

風のようにふわっと消えたいんじゃなくて、潰したい。

 

よく分からなくて泣きながら電車に乗って帰って

薬を飲むことに抵抗を失い当たり前のようにセニランを飲む。

これも私の中では少しおかしなこと。

効果の是非は別として、何十錠も飲みたい欲求すらある。

翌朝起きられないと困るから1錠で我慢するけど。

 

元気だけど、元気じゃなくて、つまんない。

そんな今日この頃。