吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

HNとアイコンの由来

私はIDとHNが同じ設定のままdarksundayと名乗っているんだけど

そこにアイデンティティはなく、普段の自分の本名でなければ何でも良かった。

普段の自分を知ってる人に見られたくない場所として作ったブログだから。

とは言え、思い付きの中にもそれなりに理由はある。

 

『The dark sunday』(暗い日曜日)はハンガリーで流行った曲名。

聴くと死にたくなる曲として広まり

実際に数百件自殺が発生したという都市伝説もあり

政府が流すことを禁止するまでに至った話題作。

現代人が聴いてもきっとそんな絶大な効果はないと思うんだけど

刺激に慣れていない人たちの時代、それは大きな影響力を持った。

歌詞は恋人を亡くした女性が暗い日曜日に嘆くという内容で

最後は自殺を決意するという一節で終わる。

それは絶望の象徴。鬱感情を曝け出す場所には適しているかなと。

 

突き詰めて考えると日曜日は休息日にあたる曜日で

仕事から解放されることを待ちわびる期待や癒しの象徴でもある。

それが暗く、嘆かわしいものに変わったら他に救いはない。

分かりやすく言えば「遠足は雨で中止」という感じだろうか。

全てが無意味、全てが絶望、そんな意味の「暗い日曜日」と解釈している。

ただ「聞くと死にたくなる」なら「聞かなければ死にたくならない」ということで

歯車をひとつかけ替えたらその絶望は消えるかもしれない。

そんな意味を込めて私はこの言葉が気に入っている。

 

そしてアイコンは有名な『地獄の門』に設定してある。

まるでもう地獄にいるかのような気分になったとしても

私はまだ門前にいて、門をくぐっていない。

考える人のついた地獄の門を前に、苦悩しているだけに過ぎない。

そういうストッパーの意味を込めて。

引用したそれぞれのモチーフは陰鬱でありながら

どこかに希望も存在する、そんな設定です。

 

私は前向きになりたいと思うことはなくて

辛いなら辛いままでいいし好きなだけ立ち止まって後ろも向きたい。

生きたいと強く願うことはないけど死ねないから生きているに過ぎない。

だけど、自然と幸せな未来を想像してしまって

どんなに絶望の底にいても捨てきれない希望が余計に現実を突きつけたりする。

そういう自然の生の姿を、無理なく綴りたい。

そんなブログです。