吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

映画『ツレがうつになりまして』を見た

自分の感覚と近い他者の感情表現が見たくて久しぶりにこの映画を見た。

 

なんかこう暗くネガティブな感情って

普段付き合ってる友人や職場の人には隠さないといけない部分のようになりがち。

ありのままの自分を理解して欲しいと思う反面で

こんな自分じゃ好かれなくて当然だと思ってる部分もあって

頑張って好かれようという努力とまではいかずとも

わざわざ疎まれるような種は自分で撒きにいかない方がいい。

 

だけど心の中はとても澱んでいて

無理しないテンションで澱んだ本音だって話したいし

自分だけじゃないって思いたいから他者の淀みを拾いにいくんだと思う。

はてなで他のブロガーさんの読者登録をしたり

検索して人の日記を読みに行く心理はきっとそれが理由。

映画やマンガも同じ。

楽しいことも勿論好きだし闇のみを求めてるわけじゃないけどね。

 

Twitterで病み垢さんと繋がりたいとかハッシュタグで集うのは

なんかちょっと違うかなって抵抗感があるんだけど

苦しんでる人の心を知りたいんだ私はきっと。

薬がどうだとか血がどうだとかには興味はあんまりなくて

どんな景色を見てどんなことを感じたのか教えてくれる人に触れたい。

泥を跳ね返せる元気のない、ずぶずぶと足をとられる感覚を知っている人の。

 

そんなわけで分かりやすい鬱モノを手に取りましたよと。

過去にもDVDレンタルで1度見ていてやんわりとした好印象はあったけど

鬱のリアリティを知った今の目線で見るとまた違うものだなぁと。

 

初診で病名や治るまでの期間を明確に告げる医師がそもそもありえないし

待合室で他の鬱病患者がすり寄って来て会話することも不自然すぎる。

ただまぁそこは映画としての展開説明と割り切れば

ツレが演じる鬱病患者は割とリアリティがあって共感しやすかった。

 

完璧主義者ほど自尊心が傷つくと鬱になりやすいっていう典型だったり

〇〇しなきゃって義務感で自分を奮い立たせる思考回路とか

電車の中で周囲の目を気にせず大泣きしたり

電話が怖くて出来なくなったり

大好きな妻のハルさんに冷たくされて完全に存在価値を見失ったり。

 

自殺未遂のシーンはグッときたなぁ。

良かったって言ったらおかしいのかもしれないけど

「あーーその気持ち分かるよ、そうなるよね、そうなんだよー」って

心の扉がスッと音もたてずに閉じる感覚に物凄く共感した。

 

あの自殺未遂シーンにセリフが殆どなくて

一点を見つめて縮こまってただ泣いてるっていうのもすごく良い。

何の必要もない出しっぱなしのシャワーも良かった。

リスカ+浴室ってわけではなく、ただ謎のシャワーが無情に出続ける。

頭を冷やそうとしたとか

ちょっと刺激を感じたら気分転換出来る可能性だったように見えて。

でもそれが何の効果もなくて、出しっぱなしを無駄と思ってとめる気力もなく

そこにある景色は何も心に響かないという象徴のようだった。

 

鬱症状が悪化してくると部屋が汚くなるのってあるあるですよね。

そこにゴミがあっても、汚れても、綺麗にする意欲がわかない。

微かな理性で「なんとかしなきゃ」って思っても

立ち上がって手に取ってほんの少し動くという些細なことが出来なくなる。

普通の感覚だったらここまで放置するのはヤバイってレベルでも

危機感が極度に低くて「そうだね、汚れてるね」って認識するだけ。

 

全体的にふわふわと気分の落ち込みがあって

色んなことが出来なくなって自尊心が欠けていって

でもこのツレは洗濯物畳んだり出来ることはしていて。

ダメになった自分でも対等に扱ってくれるハルさんがいたから

自分をダメだと思い過ぎずに発言することも出来た。

 

そんな気を許せる相手だからこそ言えた「ハシゴダカ」の指摘だったけど

締め切り前で殺気立ってたハルさんは思いやる余裕なくキツくあたる。

自分の生き甲斐、自分を肯定してくれる唯一の人、自分の存在を許してくれる人

その人にこんなにキツく言われたらそりゃね。

言った方はただの八つ当たりで憎しみなんてカケラもなくても

人生全てを否定されたように感じて、存在価値が無になっちゃうよね。

 

言われた直後はまだ勢いがあって

「ハルさん、僕は電話は出来ないよ」ってちゃんと言えるんだけど

傷つけられた言葉の威力って頭の中でじわじわと響き続けて増幅するんだよね。

無抵抗になって、その言葉を繰り返し自分に突き刺すようになって

バスタブに体育座りしながらじっとしていたツレの頭の中で

自己否定が膨らんでいるだろうことがありありと伝わって来て。

 

その感覚を知っているから共感して泣いた。

なんでだろう、フラッシュバックしたら苦しいのにもっと触れたい。

「傷を舐め合う」って言葉は悪い意味でしか使われないけど

そうすることで救われることもきっとあると思うんだ。

この思考回路は間違ってないんだっていう肯定感というか

この状況なら死にたくなって当然だよね、頑張らなくていいよねって

折れた心を強引に奮い立たせなくていいって認めてくれる感じかな。

 

それだけでも私はこの映画見て良かったって思った。

 

ただ、ハルさんがツレのことを書籍化しようとした時に

ツレが差し出した日記が穏やか過ぎるのではという気はした。

私は死にたくなる理由が「自分を責める他人への嫌悪」から生まれるから

(それが変形して自分を責めて自尊心が消えていくパターン)

一緒に暮らしててハルさんを悪く書いてるところが皆無って考えられないなと。

それだけ献身的にサポートしてくれた愛する妻の姿だったと思えば美しいけど

仲の良い友人でも無理解や感覚の違いに傷付くことが多い私からすると

ちょっと理想論がいきすぎる綺麗事のように見える。

 

仕事の苦痛のトドメを刺したクレーマーが

講演会にやって来て称賛する図もなんだかぽかんとする展開。

「かつての苦悩はこれで全部解決しましたー!◎」みたいな感じなの?

全力で守ってくれるハルさんとその両親から離れて

再就職したり、他の人間関係に行き詰まったりする先の展開は描かれてなくて

「完治ではなくうまくつきあっていく」という布石を残した点は評価したいけど

私が知ってる現実ってもっとどろどろしてるぞ、と思った。

 

夢や希望を描くファンタジー要素もあっていいんだけどね。

私の人生にもそういうファンタジーが起こればね。