吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

分不相応

日常生活の中では不調を感じていなくても

キラキラしたものに触れると違和感に耐えられなくなることがある。

きっと自分で思ってる以上にそういうものから遠かった証拠なんだろう。

 

ライブが始まった瞬間、オーディエンスの期待は大体ピークにある。

歓声の中、その瞬間を待ちわびていた客と演者が対面して

会えたことを喜ぶような空気の中、ショータイムが始まる。

そんな中で私はひとり泣きそうになることがある。

心が無で全然はしゃげない。笑えない。

突然ひとりだけ異空間放たれたように隔たりを感じながら

私は一体なんでここにいるんだろう?と喜びと無縁の状況に陥る。

帰りたいとまでは思わなくて、ただついていけないことに困惑程度だし

毎回でもなく数分経てば馴染むんだけど、こういうことが時々ある。

 

前に実家療養してた頃も母が気分転換にとよもぎ蒸しに連れ出してくれた。

そう、母は基本的に娘想いで優しいのだ。

ただその想い方が私の意思に無関係に展開されていくだけで。

それが苦痛で今朝も憎む夢を見ながら最悪の目覚めを迎えたけど。

 

接客のお姉さんは話し方がとても優しくて

ただ説明を受けていただけなのに大粒の涙がボロボロこぼれて

止まらなくなってその場にいた皆を困らせてしまったことがあった。

冷たくされて傷つけられてばかりだった当時の私には

例え接客でもそんなに穏やかに微笑みかけてくれる人は眩しすぎて

受け付けられなくて困ってしまったんだ。

 

2日ぶりの職場に来て、休暇前のストレスがいとも簡単に蘇った。

何が嫌なんだろうと考える。

仕事を「しなきゃいけない」という追い立てられてる感だろうか。

誰かと関わることだろうか、いや今日はほぼ誰とも会話してない。

じゃあなんだ、他人が側にいることが苦痛なのか。

多分それだ、話し声が聞こえることがストレスのようだ。

なんて贅沢な我儘を言うのかとは思うけど

嫌なものは嫌でそこにストレスを感じてしまうのだから仕方ない。

 

皆当たり前に仕事をこなしている。

価値観の違う人がいっぱい側にいる。

きっと私が感じているようなストレスはない状態で集中している。

もしくはリラックスしながらサボっている。

だけど、私は。

自分だけが苦しんでいるように感じてしまう時、どうしようもなくいたたまれない。