吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

染み込んだ不憫

去年、パワハラで社内通報を受けた上司がとばされるという事件があった。

 

私が所属する部署の部長だった彼はネットに毒されたオタクで

同じくネット社会に長年身を置く私は割と近い感覚で共有出来る話もあった。

ライブに行くから休みたいという私のライフスタイルに理解を示し

部署内で私と敵対した女性社員を呼び出して相手を怒鳴り散らして守ってくれた。

勘がよくて知られたくないことも色々バレちゃったけど

私にとっては頼もしい上司だった。

私が1番褒めて欲しい文章力をとても褒めてくれて嬉しかった。

 

そんな彼がパワハラをしていると他部署から本社の相談所へ密告があり

被害者としてあげられた3名の1人として私は事情聴取に呼び出された。

被害者本人からの密告ではなく、見兼ねた周囲の「救いの手」だったらしい。

ただ驚くばかりで私はそんな実感はなく

「証拠を叩きつけてクビを切ってやろう」と息巻く相談員に唖然。

私は彼を擁護する証言しかせず相談員を困惑させた。

 

他2名はパワハラを認めたと言う。

私のおかげで罪は軽くなり、移動こそ決まれど同じ建物内に留まった。

連日本社に呼び出され絶望する彼はやつれてゆき

そんな姿を可哀想に思っていたのは私だけだったようだ。

 

口頭ではお礼を言われたけど正直もっとお菓子とか食事とか

見える形で感謝されるべきではないのかと思ったけれど

最終日すら私が「お世話になりました」とお菓子を渡しただけで

その後彼からはお返しも何もないのはちょっと不満…くらいに思っていた。

 

ただ、月日をかけて「本当にパワハラされていなかったか」を見つめると

そこそこ被害を受けていたのに自覚がなかったのだということに気付く。

 

パワハラって汚い言葉で人格否定するようなことを罵られたり

イラストで表現しやすい「ガミガミ」みたいなイメージだった。

だからなんでもかんでもすぐにパワハラだと騒ぐのは大袈裟に思うとこはある。

でも皆の前で攻撃的なことを言われたことや

理不尽な評価を下された記憶があとからゆっくり湧いてきて

今思えばそれなりに嫌な想いしてたなと擁護したことに少し後悔している。

イジメが便器に顔を沈められるまで行かなくても成り立つのと同じだったのか。

 

あと長い間私が昇格しなかったのも

この上司が私を低く評価していたせいだと時代が変わってから知った。

表向き理解ある上司のフリをしていたから信じていたけど

部長が変わって、ちゃんと仕事を評価して貰えて給料と役職があがった。

 

休職に入る前のボロボロだった時

不安発作で仕事中に突然の号泣がしょっちゅうあったんだけど

そういう時は更衣室に駆け込んでいた。

でもそれを「体調悪い時は休んでいいから、休む前に必ず声かけて」って言われて

 涙こぼれ始めてハァハァ呼吸を荒げながら「少し休んでいいですか」って

部長の席まで行けっていうの?って鬼畜だと思ったけど

正社員として身を置く以上上司の言うことは絶対だと思っていたよ。

そう出来ない自分を責めるばかりで理解を求める発想がなかった。

 

なんでその「攻撃」や「理不尽な評価」に憤らなかったかと言えば

私がそれに慣れているから、ただそれだけなんだ。

 

例え良い上司であっても理想通りでいてくれることは期待してないし

自己評価の低さを刺激されたら「おっしゃる通りです」と自らを悪に分類して

謝罪する姿勢になるのは自然な流れだった。

他人がそんなに自分に甘くないことを100も承知で

人間誰だって正当性より自分の好みでその場を動かそうとするし

私は好かれる為に手を揉みながら媚びを売るサラリーマンにはなれないし

「このくらいの仕打ち受けて当然なんだろうな」と何の疑問も持たなかった。

傷付かなかったわけではないし、仲の良い人には愚痴ったけど。

 

それだけ普段から嫌な想いいっぱいしてるし

その分他人に期待もしていない。

嫌なことをされたって話をランチタイムにすると

「よくそこまでされて黙ってられるね。私なら絶対言い返すわ」

って反応が多いかもしれない。

普段怒ることもあるけど、怒りに使うエネルギーがあまり出ない。

 

高校でいじめも受けたし、ネットでの大規模なやつもそこそこ経験しているし

今もそれが終わったわけじゃなくて逃げている。

人の汚さも愚かさにも慣れてるのが事実としてあるんだろうな…。

少なくても私を被害者として名をあげた密告者には

私は「救ってあげないと可哀想」に見えていたのにね。

私はそれを「良い上司」って思って尽力してた図式を客観的に見ると

DVとか宗教の洗脳みたいだ。

 

少し前に読んだマンガ『死役所』にこんな描写があったよ。

母の悪意に気付かぬまま虐待死した子を客観的に見た人たちのシーン。

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慣らされている方がストレス少なくていいのかな?

でも慣れるまでに一生分のストレス感じたような気もするよ。

ハッキリしてるのは「こうなりたかったわけじゃない」っていうこと。

だからそれに耐えられることを偉いねって褒められても嬉しくないし

守られて大切にされることが当たり前だと思う人を少し妬ましく思う。

「このくらいなんてことないよ」って明るく言える程強いわけじゃない。