吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

死の受け止め方

初めて人の死を意識したのは

当時テレビによく出ていたベテラン演歌歌手の訃報を伝える新聞だった。

小学生の頃の出来事で、特別ファンではなかったけど

あまりに有名な曲だったからよく口ずさんでいて馴染みのある存在だった。

新聞を握って号泣する私に親は「ピュアだね」って笑いながら驚いてた。

 

当時の私にとっての「死」は

今まであったものがなくなったという突然の終止符へのショックで

恋しさとか痛みは伴っていなかったと思う。

その日以来特に悲しさを引きずることはなかった気がする。

 

中学生になってロックに目覚め

ピンク頭で有名なあの人のファンになった。

ソロから知って好きになったからバンド時代のことは詳しくなくて

でもなけなしのお小遣いと貯金してたお年玉でCDやビデオを買い集め

影響されてドクロのついたファッションを取り入れたりして

新鮮で毎日が刺激的でとても憧れていた。

否定されながら強引に親の敷いたレールに乗せられて反抗意欲が膨れてた私に

自由の素晴らしさと肩の力を抜いた楽しい世界、そして夢を教えてくれた人。

自分の財産を削ってでも欲しいものが初めて出来た。

 

好きになってまだ1年にも満たないくらいで彼は亡くなった。

私の毎日を彩る光が消えた。愛しい人がいなくなった。

明確に死への絶望を感じたのはこれが初めてだったと思う。

ワイドショーに張り付いて告別式の模様や各報道を片っ端から録画して

夜はノートに思いの丈を書きなぐって毎日毎日めちゃくちゃ泣いた。

 

でも親はそんな私に「くだらないことしてないで勉強しろ」と叱った。

ネットのない時代、ライブにも行けなかった私は同士の友人はいない。

唯一側にいる家族にも理解されずに孤独の中で哀しみ続けた。

バンドに愛着のない私はバンドメンバーに縋る想いもなく

自分1人の大切な思い出を守ることしか出来なかった。

 

それは21年経った今も変わらず、誰かと共有したいと思わない。

私が知らない他のエピソードも欲しくなくて

ただ自分が彼に憧れてキラキラしていた短い月日だけが宝物。

それ以上でもそれ以下でもなくて、誰にもその聖域を邪魔されたくない。

死後にリリースされた未発表曲すら受け入れたくない。

 

そんな彼の訃報と同時期にもう1つのバンドと出会った。

音楽というジャンルにはおさまらない

宗教さえも超えた哲学組織、世界史の闇を再配布するすごい団体。

家庭内のうっぷんをため込んだ小さな世界で生きていた私には

あまりに規模の大きな刺激的な世界でそのカリスマ性に心を奪われ

20年間全身全霊で愛してきた大きな存在。

 

しかしバンドってのは継続が難しくてこちらも例にもれず

メンバー同士が派手に喧嘩別れして泥沼になった。

ピンクの彼の訃報からちょうど1年後、こちらのバンドでも1人死んだ。

公式からは突発性の病名が発表されているけど

バンドがぐちゃぐちゃになったことを苦にした自殺という真相があって

その死は更に喧嘩を悪化させ、今も救いようのない泥沼。

 

バンドを壊して自殺の引き金をひいた張本人は今も苦しみ続け

ものすごい人数のファンや関係者から大バッシングを受ける憎まれっ子。

でも私は当時のメンバー全員が好きで仲直りを願い続けてるから

どこかに救いの糸口がないか探さずにいられなくて

こちらの自殺者に関しては情報がいくらでも欲しいし

些細なエピソード全てが愛しくて抱き寄せたい。

 

20年間の間に同士の友人たちともたくさんの話をしてきて

これに関してはきっと私は未来を夢見ているから

彼の死を重んじて発展のきっかけにすらしていきたい。

そういう追及意欲を伴う珍しい死。

 

ただ、私はその後どんどんメンタル不調になっていって

死そのものに対する価値観が変わっていった。

本気で死にたいと思うことが頻繁に発生したり

残された側の喪失感も年を重ねてリアリティが増していった。

 

自分が死ぬことに対しては相変わらず今も恐怖心って殆どなくて

どのタイミングがいいんだろなって足踏みしている感じなんだけど

なんだか他人の死はものすごく怖い。

 

職場のおじさんが病死するケースを2度経験したんだけど

訃報が発表されて社員全員で黙とうした時、恐怖で涙がこぼれた。

1人は全然接点のないおじさんで、名前と顔を知ってるだけだったから

喪失感の感情移入とかはなかった筈なのに。

「死」そのものが感情過多になってしまって倒れそうだった。

もう1人のおじさんは同じ部署で何度か関わってたから葬儀も誘われたけど

情緒不安定で死に対する恐怖心が強くて辞退してしまった。

 

私の祖父祖母は全員亡くなっていて、父が養子で叔父夫婦に引き取られてたので

合計6回の葬儀を経験したけど、これはそのどれとも違う感覚。

長く生きた老人ならば死も仕方ないと受け入れることが出来て

思い入れのある人に対しては感謝の気持ちで送り出し

然程かかわりのなかった人に対しては形式的に参加するだけで

その死が悔しくて納得いかないとか私を置いていかないでとかは思わなかった。

老人って多分自分と違う種別だと思ってるところが大きいのかも。

 

全身全霊をかけたバンドは活動を休止し、それぞれ皆バラバラに活動をしていて

その先にあるバンドのサポートメンバーがまた1人自殺してしまった。

その人とは個人的にやりとりがあってたくさん話した思い出があった。

この彼に対してはもう恐怖しかなくて、メンタルが全くついていかない。

思い返す度に動悸がして向き合えない。

恋しいとか寂しいって感情がわく前に死が怖い。

申し訳ないけどとにかく忘れたい。

皆が彼の良さを語り継ごうとする中、私は思い出したくない。

 

同じ「バンドメンバーの死」でこうも違うのは

直接関わっていた人間味と

死因の詳細が明かされてない故に「自分が関わっていたら」の恐怖だろうか。

あと遺族がファンに向ける寛容さの違いも大きい。

 

死んでしまったら当人はもう当然この世にいなくて

その存在感を誰とどうやって残していくかってところが重要になってくる。

同じ価値観で同じ思い出を共有した人同士でしかそれは成しえなくて

違う場所で違う繋がり方をしていた人とは分かち合えないんだ。

皆自分の思い出が大切で、その思い出を穢すような人は受け入れない。

遺された人同士がバラバラだと、死して尚、別の悲しみもあって

「この人は自分と違うんだな」って感じると私は心を閉ざして孤独を選ぶ。

 

勿論自分と故人の1対1の思い出だけでもいいんだけど

なんかそれって駆け落ち的な感覚にも近くてね。

皆で思い出を提供し合って「素敵な人だったね」って輪になれたら理想的。

でも皆傷として死を抱えてるから、とても繊細で敵が増えやすいんだろな。

 

今も大好きだよって遺された一人が口にする。

それすら「お前なんぞが語るな」と激怒する人もいる。

中立立場の私がそれをフォローしたら「お前も敵だ」と締め出された。

そんな争いに心を痛める今日この頃。

皆きれいごとばっかり。皆自分のことばっかり。

どうしてもっと相手の立場で苦しみを想像してあげないの?

それに胸を痛めた人が更に自殺したらどうなるんだろね。

 

真夜中に起きて、悲しくなって暫く泣いて

朝焼けの空をぼーっと眺めながらこんな世界に生きてるの嫌だなぁと思った。

疎まれるから誰にもこんな感情打ち明けられない。