吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

意識は朦朧としている

最近は調子の良い日と悪い日の差が激しい。

ダメな時は身動きすらとる気力もなかったり

逆に「悲しい」でいっぱいになって声をあげて何時間も泣いている。

かと思えば私のどこに何の悪い症状があるのか疑問に思うくらい普通な時もある。

薬は割といっぱい飲んでいっぱい寝てる。悪夢もちょいちょい。

 

食事は相変わらず摂れていない。

今日ちょっとお腹減ったかも!食べれるかも!と思って食べたら

トイレで死ぬほど後悔してやっぱ食べるのやめといた方がいいのかなって感じ。

食欲の問題じゃなくて胃が食べ物を拒絶してるような。

水分と睡眠さえとっときゃ断食は健康に良いみたいだし

元々20kgくらいダイエットしなければと思っていたレベルの肥満体系だし

今6kgとか落ちたところで現状何も支障はないのだけど。

波に乗ってあと5kgくらいは落ちてから対策を考えたいところ。

 

冒頭に書いた大声で泣いたっていうのは、前回の記事に書いたことに繋がっていて

友人と少し揉めたのが原因だった。

たった10人程度をフォローしているSNSに対し、私は300人以上にフォローされていて

その10人すら見るのが苦痛に感じだしたので先日利用を停止したところだった。

別に誰に見られてもいい。

それが有益な発信ならば多くの人が興味を持つのは当然だし

好きなアーティストさんが私のTLに興味を示して見に来てくれるのは嬉しい。

そう、私は基本的に「発信用」であって交流用にしたくなかった。

 

目の前で「Twitterやってますか?フォローしていいですか?」って言われても

極力「私フォロバしないんですけど…」を貫いてきたけど

頻繁に会う同士だとなかなかそうもいかず繋がってしまったケースが数件。

交流が嫌いなわけじゃないし楽しい時は楽しいんだけど

相互フォローしているとお互いに全ての発信を見てる前提の付き合いになりがちで

気乗りしなくてミュートしたり見逃してたツイートを

会った時に話題に出されて「ツイートしたじゃん!」って言われるのが疲れる。

そして皆は慣れ合うのだ。

私はそれがめちゃくちゃ嫌いだけど、目の前でやられると不参加の疎外感がある。

タチが悪いのは見てる前提でやんわりと嫌味ツイートする奴。

私にとって公式情報以外の「閲覧」は害があまりに多い。

 

仕事のこととかこの面倒な強制交流のこととか

ただでさえ疲れてるのに、その使い方について友人からアドバイスを受けたんだ。

私を想っての発言で、世間一般がどういうことに炎上しやすいか鋭い感覚を持っていて

きっととても的確な助言だったんだと思う。

だけど私には余裕がない。

私のやり方に文句をつけないで欲しい。私にそこまで求めないで欲しい。

なんで?どうして私のことを否定するの?私の何がダメだって言うの?

何よりも、あなたは私に対して嫌味ツイートする奴と仲良くしてるのでしょう?

そんな気持ちでいっぱいになってしまって衝突した。

 

互いに平行線を察して話は解散した。

「一緒に考えてくれてありがとう」と告げると

「病んでる人に言うべきことじゃなかった、すまん」と返ってきて

翌日もきっと彼女は気を利かせて他愛のない話で交流を続けてくれた。

壊れずに済んで心底安堵した。

 

だけどその夜はさすがにショックでどうしようもなかった。

彼女は私に嘘もつくし全面に置いて信頼しているわけじゃない。

気が乗らないと私の扱いは雑になって冷たくもなる。

だけど私は彼女のことが大好きで失いたくなかった。

喧嘩するのは初めてじゃなく揉めても数日後には雑談を再開することもあったし

「姉妹みたいな感じだよね」って向こうは言ってくるけど

何が引き金になって本当の終止符になるかなんてわからない。

 

失うことが怖かった。

だけど自分の心の中にある自分を攻撃するものへの憎悪も増幅していて

冷静にすべてを受け止めて敵を許容するような余裕は持ち合わせられなかった。

私を攻撃するならば友人ですら敵なんだ。

どうしたらいいか分からない。

 

3~4日程経って落ち着いた今

あの時もうどんなことを嘆いていたか鮮明には思い出せない。

薬をいっぱい飲んだしいっぱい寝たし、なるべく考えないように時間を過ごした。

ただ、こうやって自分を想ってくれる友人ですら敵視して

自ら関係を壊しに行くことはきっと今後も回避するのが難しいことを察した。

 

「私をいじめないで」

 

苦しい時、きっと何よりもそれが最優先の感情になる。

そして破綻して、孤立して、好きなことも出来なくなって

もっともっと絶望していくのかな。

 

あまりに感情が爆走して悲しみと絶望でいっぱいだったから

あの日は多分レキソタンを60mgくらい飲んだ。

多分飲み過ぎなんだろうなってやんわり察しながら後で規定量の倍と知る。

当然深夜に20も30も飲んだら朝起きられるわけがないけど

もうすべてがどうでもよかったから迷いも罪悪感もなく仕事を休んだ。

 

翌日は少し気持ちは安定していたけど

副作用と感情の余韻をまだ引きずっていて結局また休んだ。

朝は「午前半休で午後から行きます」って言ったけど

「すいませんやっぱりダメそうなので今日もお休みさせてください」に変えた。

奮闘している緊迫感は伝わっただろうか。ただの迷惑だっただろうか。

 

気付いたら土日+祝日で5連休。

職場には事情を話してあるから有給使い切る方向でも

今の自分を守るために必要なら無理しなくていいって言われてるので

あんまり気にせず休めるのはありがたい。

電話口で心配そうに声をかけてくれたおばちゃんありがとね。

 

怒りも悲しみも胸の奥にくすぶっていて

いつでも発射準備が整っているというのに

好きなことや楽しいことへの執着心が消えてしまった気がする今日この頃。

変わらず好きで変わらぬライフスタイルを守ってるつもりでも

何が何でも手に入れたいとか、絶対にこうありたいって熱意がなくなってしまった。

あわよくばの棚ぼたは望むけど、拘る程じゃなくなっている。

 

私、変わったなぁと思う。

私の意識は朦朧としている。