吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

孤立

私は自分の症状を割と受け入れていて
それを人に話すことにも然程抵抗感はないタイプ。
だって何も悪意を持ってしていることなんてないし全て自然な展開であって
同情して欲しいとまでは言わないけど現状を理解して欲しいとは思う。

だけど周囲にいるのはメンタル関係のプロではないから
症状を告げられたところできっと困ってしまうんだよね。
気まずさを嫌う人は聞かなかったかのように無視や話題転換をしたり
興味なさそうに流された挙句
「距離を置こう」と決意させる引き金を引いてしまうこともあるようで
最近はそれがなんだかとても寂しい。
「自分を受け入れて貰えなかった」と感じて傷つき落ち込んでしまう。

救いたいとか力になれることあったら何でも言ってだなんて
そんな全面的な包容力を求めているわけじゃないんだけど
確かに元気に楽しく生きてる人には重い話で非日常で
臭いものと感じたなら蓋をしたくなるんだろう。
悩み事すら誰にも話さないっていう人だって世にはいるわけで
「これが私です」って曝け出すタイプの方が稀なのかもしれない。

腫物を扱うように気遣って欲しいわけじゃなくて
どんな生活をしてどんなことを考えていてどういうことに傷付きやすくて
普通なら出来る簡単なことも出来ないことがあるから怒らず許して欲しいとか
私にとっては自己紹介のコミュニケーションの一部なんだけど甘えでしかないのかな。
確かに気遣わせてしまう結果にはなるんだけど
そういう周囲のフォローがないと潰れる速度も上がるから自衛でもある。

ただ、これが鬱という下落の一途ならば「弱ってる印象」で片付くものが
双極性障害の場合は「弱ってるかと思ったら突然張り切るし攻撃的にもなる」わけで
周囲が困惑してしまうのも無理はないんだろうとも思う。
躁の人格と鬱の人格の二者を宜しくお願いしますってなかなか難しいことだ。

そして鬱の人の感覚と、一般的な感覚って、そもそも価値観が違う。
よく鬱の人は何を見ても冷静に自殺する為の道具として考えるって言うけど
メンタルを患ってない人はそもそも「死にたくない」が当たり前なんだよね。

以前休職していた頃仲良くしてくれてた友人が心配して時々電話をくれてたけど
「最近どうなの?」って聞かれた時に私は何の疑問もなくこう答えた。
「毎日死にたいって思うけどずっと泣いてばかりってわけでもなくなったよ」
私にとっては絶望の淵から少し浮上した報告のつもりだったけど
相手が面食らって黙り込んでしまった時に話すべきじゃなかったと悟った。

職場で1番仲良しでしょっちゅうごはんに行く人がいるんだけど
会話のメインはいつも食べ物のことばかりで食の趣味が抜群に合うから
永遠に食べ物の話だけで盛り上がっていられる関係だった。
だけど「お腹壊した」って伝えた後「その後どう?」って聞かれて
ストレスから食事が摂れなくなって1週間断食して体重5kg落ちたことを告げたら
なんか、やんわりとひいた感じで交流が減ってきている気がする。
表向きは「少しでも食べられるようになったなら良かったね」とは言ってくれるけど
日本人は本音じゃないことを口にする人の方が圧倒的に多い。

「私もストレス溜まると禁煙しようと思ってたのにヘビースモーカーに戻っちゃう」
とか、自分の経験談を語ってくれる人は気が楽だし
直接的に何かを告げなくても「無視」「そっと離縁」以外なら十分ありがたい。
だけど、現実はうまくいかないね。

心を病んだ瞬間から、今までの人間関係が全て終わってしまうような感覚。
相手の理解力に頼りすぎちゃいけないんだろうけど
どうしても孤立して、自分だけ取り残されていく形になっちゃう。
感情の起伏も今の私は特にコントロール出来ない。
これ以上自分を攻撃するようなものを見聞きしたくない。

そんな私が出来ることは、自分から立ち去ることなんだろうか。
全ての情報を遮断して、疎外感を感じるような光景さえも見ないようにして
そっとじっと自分1人の殻にこもるのが正解なんだろうか。
手始めに大勢と繋がっていたSNSを去って大分楽になったけど
もどかしさは募るし何が正しいのか分からずにいる。
寂しいけど、寂しいという資格はきっと私にない。