吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

憎むより憎まれたい

転落は早い。

あっさりとまた死にたいモードが訪れて困っている。

 

なんで死にたいのかって言ったら別に切羽詰まった衝動的な理由なんてなくて

嫌いな人がいっぱいいる世界だなぁってぼんやりとした苦痛だけ。

昨日書いた記事のことをそこそこ引きずっているのと

書いたことによって諸々明確になった上

やっぱり私なんて嫌われて当然なのだと自分すら嫌悪し始めたり

冷静に分析すればまぁこれが理由なんだろうな。

 

日中は普通に生活してるけど

ここ最近またシャワーパニックも軽度に発生しかけたりしていて。

浴室に入ると心の声が表に出やすくなるのってなんでなんだろうね。

全裸になる完全個室で他者を感じない自分だけの世界だから?

鼻歌を歌うのは割と一般的だけど

心が穏やかだから表に出てくるのが音楽であって

心が荒んでいる場合は絶叫とか苦悩の独り言とかになるのかな。

 

昨日の朝はラッシュで理不尽な想いをして

膨れ上がる憎しみにぐったり疲れて会社へ着いた。

デスクの引き出しからブロマゼパム5mgを1錠取り出して飲んだ。

 

足に障害を持った中年女性が最近毎日同じ車両に乗ってくる。

本来なら皆が気遣って優先席をあけてあげるべきだとは思うんだ。

でも都内の通勤ラッシュは誰かを気遣う余裕を持つのは難しく

濁流にのまれたメロスのような無力さ。

下車する人がいなくて駅が進むごとに乗車率があがった圧迫の車内で

押し入るのさえハードルが高い駅で姿を現すその女性が

たった1M程度の優先席までたどり着くのは物理的にほぼ不可能なレベル。

 

障害者は弱々しくあれとは言わないけど

最低限のマナーは健常者でも障害者でも変わらない筈なのに

その女性は障害を武器として振りかざして横暴な態度をとるから可愛げがない。

網棚に他人の荷物が乗ってても容赦なく自分の荷物を上に重ねるし(しかも汚い)

この状況下で押されるなんて空気みたいなものなのに

故意に振り払って声を荒げながら不快感を示し

時に「おいふざけんなジジイ!」などと罵声を叫び

あいた席まで手が届く範囲だと座席に杖を突きたててキープして

他の人を座らせないようにそこまで強引にかき分けて進んでいく。

 

その日は立っていた私の前の席が途中であいた。

杖攻撃がくるのは分かってたから座る気は最初からなかった。

それでも相手は「先手を打たないと席を取られる!」と焦っているようで

ものすごい剣幕で遠くから杖を突き立ててにじり寄ってくる。

地面を突く汚い杖を座席に突く無神経さにも驚くけど

押されて体勢を崩した私が「ちょっと待って!」と言っても迫って来て

ヘッドホンのコードが杖に絡まって引っ張られる実害を受けた。

彼女は気まずそうにしながらも謝らずドスンと座る。

 

車内で皆が彼女にイライラしているのが明らかで

迷惑と憎しみの象徴になっていることを私はいつも客観的に見ていた。

彼女の顔にわざとあたるようにつり革を持つ肘にかけた荷物を揺らす人や

チラチラ蔑んだ目で見ている人、関わりたくなくて逃げる人。

近くの人たちは謎の連帯感を持って彼女を敵視している。

彼女が嫌がらせを受けても「ざまぁみろ」ときっと皆内心嗤ってる。

 

彼女からしたら「障害を理解してくれない冷たい社会」に嘆いているだろう。

でも他の人から見たら「主張の激しい迷惑なキチガイ」でしかない。

どうしても座りたいならピーク時を避けてもっと早起きするとか

逆方向に乗って乗車率の少ない駅から優先席を狙うとか

どうしてもしんどい時以外は譲って貰えるまで待って強引さを出さないとか

譲って貰ったら相手に感謝を伝えるとか

改善したらもっとスムーズに快適さが得られるのに、と客観的に思う。

他人に押されて不愉快な想いしてるのは皆同じなんだから

自分だけが特別扱いされると思ってることが間違いなのだと気づけばいいのにと。

 

でも、彼女を自分に重ねてみたりするわけですよ。

「自分で敵作ってますよ」と言われた私はこういう状況なんだろうかと。

特別扱いを求めたり他人への攻撃をしたつもりはないけど

「愛想ひとつで周囲の対応がガラっと変わるのに」があてはまるのかなぁって。

自分では被害者のつもりでも、こんなに迷惑ふりまいてたら

嫌われる真意に気付かない当事者があまりにも愚かに思えて。

 

そして私自身、この彼女への憎しみが心の中で爆発しそうで

可哀想だなんて同情心がかけらもない。

配役が変われば憎しみの正当化なんて当たり前のように出来てしまう。

心の中が嫌悪感でいっぱいの心理状態っていうのは

嫌われて傷つくより私はダメージが大きくて

自分が汚くなっていくのがとてもしんどく感じてしまう。

嫌われるのは外側からくるものだからバリアを張れるけど

内側から毒に侵されるような自分の憎しみはタチが悪いというか。

 

他者への攻撃的な感情を書いた昨日の記事よりも

自分が無価値であるという今日の記事の方が書いていて気が楽なのは

例え憎くても責めるという行為に罪悪感が付随してしまうからなのかな。

自分だけを責めるか、他者を責めた上で自分も責めるか。

なら自分だけで完結した方が被害は少ないじゃんね。

 

あの人が嫌い、この人も嫌い、そういうのが増えすぎて生きづらい。

相手を陥れるような悪口は言いたくないけど

自分が感じた苦痛は吐き出したいとなると

私は愚痴ばかりこぼしてしまう。

そんな人と話すの嫌だよね。

あの人のここが嫌い、こういうとこ無理って口に出したら

ブーメランのように「あなたにもそういうとこあるじゃん」って思われそうで

だったら何も言わず、楽しい話だけ共有していたらいいのかな。

そんな仮面をかぶって楽しいふりをするのが今はちょっとしんどい。

 

楽しいんだけど、楽しみなことも色々あるんだけど

なんか別にもうどうでもいいやって思ったりもして。

この世に何か生きた証を残しておきたいと思ってたけど

なんだかそんな執着もエネルギーもなくなって消えたいなあと思った。

昨夜そんなモヤモヤが膨らんで眠れなくなって

久々にぐちゃぐちゃに泣いたという記録。

 

そんな夜を超えた翌朝は決まって絶望している。

強制的に新しい一日をスタートさせられる皮肉なプレゼント。