吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

悪気のない愛の教え

母の教育方法を少しずつ振り返る。

ただ母を批判したいだけなのか、そこから何か得られるのか分からないけど

自己分析するには植え付けられたことの把握からだと思うのでひとつずつ。

 

母は汚い言葉を使わない人だった。

お嬢様学校の出身とあって品格にプライドがあるのか

男言葉も不良言葉も1度も聞いたことがない。

ただし批判はするし本当に品があったかどうかは別。

 

小学生の頃、毎日15時におやつが与えられていた。

ケロッピのプラスチック皿にチョコやスナック菓子など

お得パックから決められた分量を盛りつけた状態で出され、皆で揃って食べる。

ジュースは基本的に飲む機会はなくて飲み物は1年中水出し麦茶。

骨が溶けると言って炭酸飲料も禁止されていた。

中学生になって友達の家に遊びに行った時に

当たり前のように冷蔵庫にジュースや炭酸飲料があることに衝撃を受けたものだ。

 

スナック菓子のカスを指に押し付けて舐めるとか個包装を舐めるとか

多分わたしがちょっと品のないことをした時だった。

妹とか遊びに来ていた友達を味方につけて母は「せーの!」で私を指さし

「いじきたなーい!」と声を揃えて笑いながら批判する。

 

ちょっとしたゲーム感覚で悪いことを教えるつもりだったのかもしれないけど

指をさされながら非難されるのはとても不愉快だった。

悪いことをしたから嫌なことをされるという循環を壊すには

悪いことをしないという方法しかないけど

学習能力が足りなかった私はよく繰り返しては同じ非難を受けた。

 

たまに自分じゃない人が対象になると

ここぞとばかりに私も乗っかってその人を指さした。

「せーの!いじきたなーい!」

伸ばした腕を悪者に向ける私は正義。スカッとした。

多分他の家の子にはやらなかっただろうから妹だと思うけど

妹ってのは叱られる姉を反面教師に育つのであまり粗相をしない。

だからこそたまに自分が「いじめる側」に立てるのが嬉しかった。

「悪いことをした者はいじめていい」

この教育から私が学べたものはきっとこれだったと思う。

 

学校であったことを帰宅して母に話していた中で

「友達にちょっと悪く言われたけどこのくらい平気」ということを言ったら

「そうでしょ?そのくらいじゃ傷つかないように普段から慣らしてるもん」

と返ってきた母の言葉が衝撃で今も忘れられない。

子供心に「それは正しくないのでは」と強く思った。

 

耐性という意味で自分が鍛えられるのは確かだと思う。

だけど、他の耐性のない人に対しても悪口の威力を自分と同じだと誤認する。

っていう理論も勿論だけど

「慣れるまで攻撃することを正当化するな」と思った。

 

それは「親なしで生きられない幼い我が子への教育」だから

仕方なしに成り立つものであって

付き合う人を自分で選べる社会に出たら無効の手段。

「友人のためを想って」という善意の元に同じことをしたらダメだろう。

 

母の教育はそういう「その場でのみ通用する強引さ」が多かったと思う。

 

基本的に大人になって社会に出てからのことを想定していなくて

「飼ってあげている私の可愛い娘」が大前提にあった。

だから言うことをきかせる権利を盾に手の中で転がす。

所有物だから愛でるし労力もお金もかける。

家を出た途端にそれが全て切り捨てられたのが何よりの証拠だと思った。

その構図から脱するには大人になって母から脱するしかなかった。

分かち合うより逃げ出すしかなかった。

 

お金に困っている家じゃなかったけど大学は奨学金を受給し

卒業時に親が一括で返済という無駄なことをした。

社会人になってから私は毎月の給料から返済を強いられた。

一人暮らしを希望した時も家電は全部自分で買えと言われ

「家から出るってことは家のものは持って行かせない」と

家族から離れる恨みを仕返しのような形で受けた印象があった。

 

子の人権を対等に扱って友達みたいに話せる親子に憧れる。

なんだか私の友人にはそういう親子が多い。

親子で私と友達ってケースがいくつかある。

ジェネレーションギャップより、寄り添って一緒に楽しもうとしてくれる友人の母。

その子にとってはそれが当たり前の親子関係で

私に「もっと親大事にしなよ」とか安易に親不孝みたいに言うけど

例えこの輪の中に私の母を招いても同じように楽しい空気にはならないよ。

意思の疎通を試みて、理解を求めて訴え続けて、心が折れた今だということを

彼女はきっと永遠に理解出来ないだろう。

 

私は自分からあまり実家に寄り付かなくなった。

家を出て間もないころはそれでもまだ数か月に1度帰省していたけど

帰る度に小言ばかりでああしろこうしろと強要されて

その度に家出欲求を募らせながら実家を離れる。

そんなことを繰り返しているうちに

実家に置いてあるものを取りに行く時と正月くらいしか帰らなくなった。

今はもう正月ですら帰るのが憂鬱過ぎて理由を作って日数を減らしたり

あまりに嫌で今年のお正月は帰省拒否をしようかと本気で悩んだ。

 

母が寂しがっているのを知ってるだけに後ろめたい。

愛されていることを分かっている。

「この愛を裏切っちゃいけない」

という元カノの戒めの言葉が頭によぎる。

嘘をついて会いに行くことを拒もうとする技も覚えてしまった。

 

もっと良いところを吸収していけばいいのに

悪いとこばかり無意識に身に着けていくのは私が悪いのか。