吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

これはセラピー

子供の頃から感情は文章で頭に浮かぶタイプだった。

それをどこかに書き留めて吐き出したい欲求が強い。

その場にいない誰かに共感して貰いたいのかもしれない。

 

抱えているのがつらい感情がある。

気を紛らわせて違うことに意識をそらそうとした。

こころの中から消えることを願って感情を形にしないでみたりもした。

でも結局消えなくて、吐き出さないとダメみたい。

 

こういう時に人に頼れない。

 

重たい話を個人的にするのって逃げ場所がないじゃないか。

だからそっとSNSでひとりごとを言う。

心を許したほんの数人…片手で足りる友達としか繋がってない鍵付きの場所で。

心配や共感は嬉しいけれど、かまってちゃんになりたくなくてうまく求められない。

無視するなり反応するなりご自由にどうぞのスタンス。

 

でも結局、反応であれ無反応であれ リアクションが気になって

吐き出した情報量に対してスルーが続くと不安になる。

嫌われてしまったかもしれない。

私のこういうところはなくさないといけないのかもしれない。

 

「大丈夫?」って気にかけて貰えることはありがたいけど

その質問にはなんと答えるのが正しいのか考えてしまう。

「愚痴きくよ」って受け入れてくれる人がいることは恵まれていると思う。

優しさに甘えて話を聞いてもらうこともある。

でも友達はカウンセラーじゃない。

無理矢理元気づけられると逆に心を閉ざしてしまうんだ。

厄介で申し訳ない。気持ちだけありがとうね。

 

だからブログをはじめました。