吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

話半分

前回からちょうど1週間後、2回目の通院。

 

混雑状況の都合で診察の前にカウンセリングに案内された。

とにかく魘されたことが怖かったことを訴えたけど

薬によるものなら処方を変える権限のある医師に言ってくれと

カウンセラーのおじいちゃんはそれに関して話を聞いてくれなかった。

 

以前受けたカウンセリングはどうだったかとか

おじいちゃんとのカウンセリングに何を望んでいるかとか

知りたいことがあれば聞いてねとか序章のようなやりとりがメイン。

私はもう今抱えてる事全部吐き出してそれに対するレスポンスが欲しかったけど

打ち返す余裕のないまま私は球を投げ続けている感じで

会話のテンポがあってないというか、うまく行き来してなかった印象。

私のストレスが溜まりすぎていて吐き出す量が多すぎるのか。

おじいちゃんが何をくれるか分からないからひたすら話題を出してみたような。

 

私は今目の前にある悩みに対してとか体調に関してのアドバイスだけじゃなくて

もっと根元にある親の教育について掘り起こして人格の分析をして欲しいと言った。

 

自己嫌悪が募ったり他者から批判された欠点が

私も感じている親の嫌いな部分そのものであること

だから余計に両親が嫌いでそんな私を作ったことを憎いと感じること

父とは話が通用しなくて対等に会話が成り立たないこと

家族の中での父の評価や分析状況

母ですら父とうまくやっていけてないのに表面的に仲良くしていて

我慢し続けた歪んだ愚痴を娘たちが聞かされていること

3歳下の妹は結婚して幸せな家庭を築きそれを人に勧めてくること

母が無理して結婚生活を維持する意味も分からないこと

単身赴任の父との二人暮らしが苦痛過ぎて逃げ出すように一人暮らしを始めたこと

実家に帰ることを思うと憂鬱であること

でも両親を嫌いであることに罪悪感があること

…をだーっと吐き出した。

 

おじいちゃんは「両親のことは嫌いなままで大丈夫」と言った。

それについて納得のいく補足はなくて

ちょっとそれは今は置いといて考えなくていいよくらいのニュアンスだった。

 

「頑張りすぎない、張り切り過ぎない生活を試みてみよう」

というアドバイスがくだされた。

「あなたは聞いてると切り口が鋭いから、だーっと勢いよく登ってガーンと落ちる。

 言ってること分かる?心当たりがあるでしょ?

 それをゆるやかにする為に調子がいい時も全力を出さないようにしてみたらどう?

 頑張らないこと。家でごろごろしたりしてエネルギーを使わない。

 つい張り切っちゃって難しいかもしれないけど、言ってること分かる?OK?」

 

散々ネットで調べた双極性障害のグラフのような手の動きをするおじいちゃんに

「それは躁鬱っていうことですか?」と尋ねると否定も肯定もせず

「躁のレベルを抑えていった方がいい」みたいなことを言った。

言ってることは分かるし身に覚えもある。

全力を出すと失敗しがちで、その失敗が響くことはよく知っている。

今は疲れやすくなってるから特にその波を穏やかにすることを優先すべきと言われて

まぁなるほどなと思いつつ

私が怒涛の勢いで吐き出した家族についてノータッチだったのはちょっと不服。

 

「こんな感じで1回20~25分くらい話を聞く感じになるけどOK?どうだった?」と

カウンセリングの感想を求められて

救われた実感のなかった私は素直に「こんなもんなのかな」と言った。

「1回のカウンセリングで1つのアドバイスって感じなんですか」と。

おじいちゃんは残念そうに微笑んで「1個ってわけじゃなく2個3個…」と言いつつ

「時間がそんなにないから全部は聞ききれない。廊下で待ってる人もいるし」って

結局言いっぱなしで答えのない話が散乱していた印象。

回数重ねないとダメなのかな。

 

それにしても、カウンセリング部屋に案内されて着席してからカルテを音読して

「あなたはネイルが好きなんだっけね。で、えーと、寄り添って欲しいと…」

って目の前で言われるのはいささか気分が悪かった。

前回涙ながら一生懸命話したことをただの情報として扱われる無機質感というか

私が思う程相手は私のことを考えてくれてないんだなという印象。

たくさんの患者を抱えていて仕方のないことだけど

それを読まなければ私のことなど全く記憶になくて

会う前に思い出す努力はせずに、会ってからカンペを読む、しかも隠さず音読って

なんかちょっと虚しさを感じた。

 

悪意がないのは分かっているけど

「あなた寄り添って欲しいって泣きついてきた人でしたっけ?」

って上から言われてるような気になってしまう被害妄想も少々発動。

そこ繰り返して口に出して確認されるの恥ずかしいよ。嫌だったよ。

 

診察室でやっと医者に魘されたことを告げたけど

なんだか自分の処方セレクトがしくじったことを焦るような感じで

全然詳細を聞いてくれず「その薬はもうやめよう。それからは飲んでない?」って

どんな感じで辛かったのかには全く興味を示してくれなかった。

苦しい状況から目を覚ます為に太ももを殴ったことを話したらすごく驚いて

「え?殴ったの!?自分を??」って動揺していた。

 

カウンセリング的なことはカウンセラーに言ってって突き放されて

「いえ、もう今日はカウンセリング終わったんです。

 カウンセラーは魘された話は先生にしろって言ってたんですけど…」と

たらいまわしにされているもどかしさを訴えるも「あ、そう」で終わり。

 

以前1年半通った病院で何の薬を飲んでたかをひたすら知りたがって

どうやらその当時と同じものを処方したがっているようだった。

でも薬の名前覚えてないし、そもそもどれもちゃんと効いた感覚がなかったし

結局レキソタンだけなんとなく飲み続けてることを話したら

処方はレキソタン一択でそれ以外の抗うつ剤は一切出さない方向になった。

初回は「まず鬱を治すところからで安定剤じゃなく抗うつ剤を」て言ったのに

その方針あっさり変えちゃうんだ。

リフレックスに代わる他のお薬は?」って聞いたけど

また失敗したら怖いからって感じで

「いや、他のもやめとこう。変に作用するかもしれないし」って拒絶。

 

人が周りにいると恐怖心やストレスが昂ること

異常な疲労感で休憩しながらじゃないと目的地へ行けない時もあること

友人と会うまでの抵抗感が強いことも話したけど

「それは薬のせいで?」と副作用ばかり心配してた印象。

なんでそうなってるか私が知るかよ。

 

なんだかモヤッとする診察だったな。

結局レキソタンを頓服で飲むだけのその場その場の対処療法しかないのか。

医師は治療の匙を投げて「カウンセリングでよくなっていくから」って言った。

 

おじいちゃんは「それは医者に言って」だし

医者は「それはカウンセラーに言って」だし

くだされたアドバイスは「全力を出すな」だし

結局適当にやることが正しいと言われたように思えてちょっとやさぐれている。

それこそ医者やカウンセラーに期待しすぎた私が間違っていたのか。

こんなもんなのか。こんなもんなんだろうな。

 

最近サボってた皮膚科通院のじんましんのお薬を一緒に貰おう作戦を

すっかり忘れて帰ってきちゃったよ。

次回は3週間後。

それまで私はどう変化してるかな。

カウンセリングってどう使っていけばいいんだろう。

何を話して何を求めるか具体的なことを自分で用意した方がいいんだろうか。

この施設で受ける限り無料だからまだ気が楽だけど

毎回これで5000円払ってたことを思うと

やっぱりそれだけの価値があるのかどうか悩ましいと思ってしまう。

 

会社に月1で来訪する産業医のおじちゃんは

「あなたは分析力が優れてるから自分で大体のことが分かっちゃうし

 敏感に色んなことを察してしまうんだろうね」って言ってたな。

それに尽きるんだけど、そんな私はどう生きて行けばいいのか教えて欲しいのだ。

手を抜いて楽しいことも全力で楽しむなって本当に正しいのかなぁ。