吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

灰色のゆるキャラ

完璧主義者は失敗を重くとらえて鬱になりやすいという話はよく聞く。

白か黒しかなく、程々でもいいという概念を持てないのは追い詰めやすいのだと。

そうは言っても「どちらでもない」がじれったく感じることが多い私。

 

なんだか最近、幼いころに受けた教育が

間違ってたんじゃないかと思うものがたくさんあるよ。

グレーの美学なんて小学生の時に教わったっけ?

大人になって知った価値観はあまりすんなり馴染んでいかない。

 

ひとつの出来事に対してちゃんと自分なりの考えを見出すことが良いことで

思っていることを言葉や文章に出来るのが良いことで

自分の考えを相手に伝えられることが良いことで

それが出来る子供はとても褒められた。通信簿にも特記される。

反対意見があっても安易に折れず、理由を持って主張することが良いことで

誰かの意見を否定する時はダメだと言うだけじゃなくて代案を添えるべき

…私が学んだのはそんな感じだったよ。

幾度の失敗に負けることなく粘り強く目的遂行に向かうべし、と。

 

出されたものをちゃんと食べて大きくなったのに、何が間違っていたの?

 

母は私の勉強に熱心に付き合ってくれる教育ママだった。

教科書の内容を母自身が理解した上で家庭教師してくれるような感じ。

中学生の途中からは外の家庭教師をつけたり塾にも通ったけど

試験の結果が全てで、努力の過程を認めてくれない人だった。

毎日何時間机に向かったって事実があろうとも

ドリルを何ページこなしたという事実があろうとも

集中力を発揮して何問暗記したかという点でしか評価して貰えない。

要領が全てで、意欲より効率で「頑張ったかどうか」を判断された。

 

勉学においてそれは間違いではないのかもしれない。

ただ、私の中に「一生懸命やっても目標点数をとれなくてご褒美を貰えなかった」

という悔しさと屈辱は消せない記憶として今も残っていて

「結果が全て。一生懸命やるのは当たり前。そんなもので威張るな」

「結果が出せなければ遊んでいたのと同じ。褒める価値はない」

と言っていた母の価値観はこびりついて離れないものとなる。

 

目標点に達さなかった努力はないのと同じ。

そう教えられてきた。

 

でも今の世の中ってそういう価値観でいると生きていけないじゃん。

ましてやそんな価値観を他人に伝えたら鬼扱いされるのがオチじゃん。

頑張った努力を認めて、上を目指した心を褒めてあげるべきって

白黒だけで語ったら逆に批判されちゃうじゃん。

でも私の頭は過去の価値観と今の世間から感じる価値観がうまく手を繋げなくて

グレーを認めるべきと思いながらも快くは思えないこともある。

 

ねえ、私は病気なの?病気じゃないの?

 

鬱は甘えだと言う人が未だに一定数いて、職場という近いところにもいる中で

鬱ですらないと診断された私は何なんだろうと思ってしまったりする。

メンヘラごっこに陶酔したいだけの悲劇のヒロインなんだろうか。

薬なんて飲まなくても気の持ちようで修正がきく程度なんじゃないか。

「好きで苦しんでるんじゃないの?」って言った医師の言葉が頭を巡り続ける。

 

つらい。悲しい。しんどい。たすけて。

そう思うのに、それを認めて貰えなくて

他者が否定するなら自分も認めてはいけないのかと思ってしまう。

認めて貰うためにはもっと苦しくなったらいいの?

もっと病んで、もっと分かりやすい鬱症状を出せば

私も可哀想ねって言って貰えるの?

私はそんなことがしたいの?

 

なんで分かってくれないの?

なんでこんなに悲しいのに、なんでいじめるの?

 

処方されたソラナックスもといアルプラゾラム0.4mgを飲んだら

先生のことを思い浮かべて悲しみがあふれ出して大泣きした。

ティッシュを取りに行こうとベッドから出たけどそこまでたどり着けなくて

手に触れた壁にすがるように座り込んでおいおい泣いた。

泣くこと自体感情が生きてる証だから

無気力である筈の鬱とは違うのかと「症状の軽さ」の象徴のように感じながら。

 

「せめて自分だけは傷ついてること分かってあげたい」みたいな思考で

リスカなりアムカなりして血出して、目視することで少し落ち着いたりも出来たけど

昔の傷を消したいと思ってる今、新しい線はひかない。

吐き出し口がないままひたすら泣いた。

近所に聞こえてしまうかもしれないと思いながら泣いた。

 

いつもの「とっておきの裏技」であるレキソタン5mgを続けて飲んだ。

少しして泣き止んで落ち着いていった。

思考力は鈍り、眠くなった。

翌朝、10回のアラームに全く気付かなくて寝坊した。

風邪もひいていて声も程よく出なくなっていたから

休みの電話を入れるのはスムーズだった。

お休みが必要だったのかな。頑張れる気がしないし、ゆっくりしよう。

 

ゴミを出して、目の前のスーパーに買い出しに行って

おうちに帰ってお洗濯して、疲れて少し横になったら5時間経ってた。

洗濯終わったのに干さぬまま寝すぎてしまった。

朝飲んだアルプラゾラムの眠気が強すぎる。

これは仕事する日の朝昼飲んだらダメだ。

インターホンを見たら来客のランプもついていたけど全く気付かなかった。

睡眠薬としては効果があった。気持ちは以前よりずっと重い。

 

私の苦しさを認めてくれる人はどこにいったら出逢えるだろう。