吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

二度とこない今日

以前mixiに投稿していた過去記事を転載。

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mixiの閉鎖的なシステムと便利さはすごく気に入ってたし
昔からの仲間が皆集まりやすい場所だからすごい大事なんだけど
やっぱ鬱になってから書きづらいことが増えて
今はツイッターで実況と脳内分析をメインにただ吐き出している。
mixiはお互いの行動が目に入りやすいし交流しやすいけど
今はコミュニケーションを意識せずにコメントがつかない前提で書きたい。

ただ、ネットの本拠地がmixiから離れ始めている今日この頃が少し寂しい。
私だけでなく。

実際仕事を休んでみて、実家でのんびり寝て過ごしてみて
大分楽になったなぁという実感はあるんだけど
それは単純に「何にも追いつめられてないから」であって
号泣している時の記憶を割とアッサリ忘れてしまうからでもあって。
平穏な時間を過ごしていると、なんで実家にいるんだろうと思うくらい平穏。

でも今日久しぶりに知らない人といっぱい喋って
知らない人に囲まれて、耐えられなくて、ママの前で号泣した。
会社では悔しさ故に泣きながら仕事っていうのを何度かやったし
電車の中とか道端で立ちつくして泣いてたりとかはあっても
友達といる時とか、誰かといる時は理性が精一杯頑張ってくれるので
知ってる人の前でおかしな様子は見せたことがなかったんだ。
でも、ついにやっちゃったなっていう。

明確に泣く理由はあったりなかったりで、今回のは後者。
あー、私やっぱ正常に機能してないんだー…と
改めて実感してショックだった。

今日初めて行った実家近くの病院はすごくいいところで
大病院に限界を感じて個人で開業したという
「よりよいケア」にすごく力を入れてるんだなぁって感じ。
会社近くの病院のおじいちゃん先生の適当な診断より
ずっと心を開いて信頼出来る人に出会えたなと思った。

私の分析力まで誉めてくれて「普通と違う変わった人」をすぐに悟って
興味を示すように突っ込んで色々質問を投げてくれるから
話しててすごく楽で、前の先生みたいに私を責めたりすることはないし
味方っていうのもおかしいけど、色んな話に理解を示してくれて。
症状的には確かに鬱なんだけど、普通の鬱と違うから
マニュアル通りには診察しない方がいいねと
こういうものがあるんだよって見せてくれたりした。

前の先生の処方箋を見て「これはまた随分古い薬を…」とか言ってて
今時こんなの処方する先生なかなかいないよと言われたり。
確かにおじいちゃんだったからな…。
飲んだことのない薬で効果を試してみましょうと言って
眠剤1つでも、即効性のあるものと、長く寝られるものと
あわせて飲んでみたらどうかと工夫を説明してくれたり。
こういうのが普通なのかもしれないけど
前の先生は「じゃあ新しい薬にしましょう」って言いながら前のに戻そうとして
「え、それ効かなくて先週変えたんじゃないですか」
って突っ込む始末だったもんなぁ。

そんな信頼出来ると思った先生に
「これは治るまでかなり時間がかかるでしょう」と言われた。
私はもっとあっさり現場復帰するつもりでいたけど
最近の自分を振り返ってみて、この先生もそういうなら…と納得してしまう。
でも病は気からって言葉通りだしね
治らないと思ってたら治るものも治らないだろうし諦めちゃいけないんだけど
焦らずに、一人前でない自分を許してあげる努力もしなきゃなと思った。

なんだか毎日大変だよ。
普通に仕事して、普通にラッシュの電車に乗って、普通に過ごせる生活が
遥か遠くの輝かしいものに見える。
多分、ここ最近で、泣いてない日はないと思う。
もう心はすり減りすぎて、疲労感に鞭打つようにまた泣く。
また今日も1日を無駄にしてしまったと虚しく思いながら
自分に出来る精一杯を頑張っている筈で
仕方ないよ、十分頑張ったよと、自分で自分を慰める毎日。

遊びの予定はじっくり考えなおそうと思う。
どうなるのか、やってみないと分からないから。
行かなきゃ行かないで、また疎外感に悩むのは見えているし
楽しいと思うこと、自分の笑顔になるものは、取り入れるつもり。
それが傍目にズル休みに見えようとも。

生きていくってすごいことなんだなあ。