吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

泣いて負けを認める自然の掟

以前mixiに投稿していた過去記事を転載。

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ポジティブで楽しい気分に変えてくれるお薬を飲んでいる。
普通に考えて薬でそんな心の支配が出来るって恐ろしいと思うよ。
惚れ薬みたいな不思議なものはドラえもんのポケットの中だけのものだと思ってた。

でも鎮痛剤とか麻酔と一緒で、実際は痛い物理的現象が起きているのに
その痛みを感じさせる神経を殺すことで痛みを和らげたりしているなんてのは
実は日常的にありふれているもので
耐えられない程の激痛ならば鎮痛剤は当たり前に摂取するよね。
私は病院の処方箋なら飲むけど生理痛でも頭痛でも我慢する派だけど
歯医者さんでは麻酔使うの断る人ってあんまいないじゃんね。

不安やパニックもそれと同じ。
直接的に悩みを解決はしないけど
生活出来る程度に異常なところを封じるんだ。
ただ、痛みって分かりやすいけど不安の限界点は分かりづらい。
ちょっと心がモヤモヤしているだけなんて今までいくらでも経験があるし
緊張して心拍数があがることだって当たり前だし
悲しいことがあったら胸が苦しくなって涙が出るのは自然なこと。
その自然現象をお薬で操作するのは間違っている気がして
今まで頑なにメンヘラというものを嫌悪してきたんだ。

でも唯一「無気力」だけは私にはどうにも出来なくて
心を入れ替えることも、諦めることも、やる気を出すことも出来ない。
一応いつもの流れにそってとりあえず生活をするんだけど
何においてもどうでもよくなっちゃって意欲がないから
何かうまくいかなくても「まあいいや」と思うし、うまくいっても喜びはなくて
何もしたくないから必要に迫られないと動くのが重くて仕方なくて。
極論を言えば車にはねられて死んじゃっても別にいいやって思いながら
赤信号の横断歩道をゆっくり歩いたりとかしてる感じ。
必要に迫られても動けなくなり始めたら大分ヤバい。
何の意欲もないから死にたい程の強い感情もないんだけどね。
生きてても、死んでも、全てそこに自分の意思がないの。

かろうじて残っている理性と、周囲の人への好意で
あ、死ぬのはまずいか…って、助けを求めたのが心療内科
リスカなんかはほんとただ自分を傷つけたいだけの一時的な衝動だから
何も心配はいらないんだよ。
しかも私の自傷は厳密に言うとリストじゃなくてアーム。
血管なんて出てないから出血多量になることもないし、死の危険もない。
見えないとこ切ろうとして昔は包丁で太もも刻んだこともあったけど。
無気力こそがふとした瞬間にあっけなく終わりを迎える可能性が高い
危険なことなんだって思う。

風邪で病院に行ってもそうだけど
「あなたは風邪ですね」って病名を告げてくれる医師ばかりじゃなくて
とりあえず症状を聞いて、処方する薬の飲み方の説明をするだけの医者も多い。
私は今のところ先生に「鬱」という言葉を聞いてない。
それは追い込まないようにする為の戦略の1つなのかもしれないし
鬱かどうかの見極めが出来ないのかもしれないし
単純に言うまでもないから言ってないだけなのか、よくわからないけど。
ただ、2年前に通院してた時より今回は大分重いねって言われた。

時間が癒してくれるだろうと希望を信じたがっていた私に
絶望を打ちつける出来事があった。
本当はその場で泣きたかったよね。
友達に甘えて話を聞いて貰って、宥めて貰いたかったんだよね。
でも自分の都合で皆が動いてくれるわけじゃない我儘だと分かってるのに
落ち着く前に放り出されたような印象があって
なんかすごい淋しかったんだ。

なのに翌日全く話してない他の人から「聞いたよ」って言われて驚いた。
心配してくれているのは分かるけど
自分の関与してないところで自分の話が飛び交う恐怖がものすごく嫌だった。
気になるなら私から話を聞いて欲しかったし、言葉をかけて欲しかった。
きっとそこに悪意なんて存在してないと思うけど
情報流出警戒の為にも友達に一斉にそれを自粛するよう要請して
例え鍵つきツイでも私の見えないところで話さないでとお願いした。
こうやって規制をかけていくのって心苦しい。

遊びに行く予定も全部参加するよと約束出来なかった私が悪いんだ。
いつの間にか勝手に私は不参加扱いにされていた疎外感。
私のぬるい参加意欲はワクワク楽しみにしてた組とは温度差あったわけで
こうなって当然とも思うんだけどホウレンソウ足りなすぎだった気がしてなぁ…。
それもこれも私に接触するのが積極的になりづらい空気があったからなのかな。
他にも仲間外れにされてると感じることは多々あって落差が激しく
一緒にいるべきじゃなかったのかもしれないなぁっていう空気。

別のグループの友人たちは
「話聞かせて下さい!大丈夫ですか!?」
って電話をくれたりして、心配してくれる人の有難さを思いながら
親身派と距離を置きたい派の違いを感じたりした。

ただ単純に切なかったよね。
今の私に触れたくないんだろうな、という印象を受けてしまう。
それが別に悪い選択だと責めるつもりはなくて
考えた上で正しい選択なのかもしれないし
ただ淋しがっているだけの私には善悪は分からないんだけどさ。

日記更新しない時は数ヶ月何も発信しない友人が
今は更新したいピークがきてるようで楽しかった話が山盛りで
目にするのは結構つらかったから拒絶体勢に入ってしまった。
他の友人とメールしてる最中にも
日記に楽しい話題あげちゃってごめんって言われて
「ああ、すごい気を使わせちゃってるんだな」って思って
自分の方から距離を置こうと思ったんだ。皆の為にも、自分の為にも。
互いを犠牲にする美学は嫌いなの。

それでマイミク整理して、日記とボイス非表示します宣言して
お互いに触れたい時だけ触れられるように
少しでも自分が自由に気持ちを発散出来るようにって考えた結果が今の状態で。
最近よく「身内」って言葉を使ってたけど
その響きに甘えちゃダメだよね。

そんなタイミングで更に嫌な噂が舞い込んできて
お薬効かなくて不安定全開だったのもあって
仕事中に顔や手足がしびれる程号泣したのはこの時。
久しぶりに本当に頭がまっしろになった。
脳に酸素いかなくなって眩暈して倒れてわあわあ泣いて。
呼吸整えてすぐに仕事戻ったけど。

なんかもう嫌になっちゃうけどね。
どこにもない希望を見出そうとするのって無謀ね。
ないものねだりするのは子供と同じか。
諦めなさい、という答え以外ないんだろうか。

帰り道の絶望感は日中以上で
動けなくなってベンチにへたりこんで、ぼーっと景色を見ながら暫く泣いた。
しばらくしてなんとか駅に向かって歩いた。
やっぱり途中で何度も立ち止まって、動けなくなったけど
早く電車に乗って座ったらおうちつくんだから頑張れ頑張れって
気持ちと分離している身体を励ましながら重い足を1歩ずつ前に出した。

誰も悪くない。責めたいんじゃない。
けど、今、毎日楽しく生きてる友人と一緒にいるのって難しいねって思う。
皆私にどう接していいか分からなくて困惑してるだろうし
私も些細なものを凶器に感じやすい時と耐えられる時とあるし
こういう風にして欲しいっていう提示がうまく出来ない。

昨夜に書いた大きな迷いというのは
友達全てから離れてみようか、と思ってたんだ。
でも、正直それってものすごく淋しい。
「周囲との関係を遮断しちゃダメですよ!」って言ってくれた子がいた。
けど、皆私のせいで余計に悩んでるし楽しめるものも楽しめなくなってる。
私も皆が楽しんでるのを見るのがつらい。
一緒にいていいことより悪いことの方が多いんじゃないか?
そんな考えがぐるぐるしてる。

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