吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

独り言

一人で家にいる時はよく独り言を呟く。

 

私はそれをただの解放だと思っていたけど

分裂症の起点はこういうものなのかもしれないと思った履歴。

 

ヨイショとかアツッっていう体に連動する声が自然と出る経験は誰だってある筈。

口にする言葉が自分の記憶を辿るようになったらその破片は既に芽生えているのかも。

「えーと今日はアレとコレをして、あと何買うつもりだったんだっけ…

 あ、そうだそうだ思い出した」

みたいな。

その場に居合わせた他人に聞かれたらひかれるかもしれないけど

このくらいならきっと笑い話として周囲の人に普通に話せるレベル。

 

あんまり意識してなかったけど私はよく自分を慰めている。

昨夜ベッドに入る時に独り言を呟いてて初めてちゃんと意識したので記録しておこう。

 

「これじゃ寒いからもう一枚着ないとね。

 乾燥してるからマスクもつけとこうね。

 トイレにも行った、熱も下がった、大丈夫だよ、ゆっくり眠れるよ。

 誰も邪魔しないよ。安心していいよ。」

 

そして気付いたままのこともそのまま口にした。

「欲しい言葉は与えてあげる」

 

無意識に自分を複数人に分裂させて会話をしてる理由は

そういうことだったのかと思ったら泣けてきた。

虚しさと目を背けきれなくなった寂しさに。

 

なんで口にする必要があるんだろう。

耳を通して聞きたいんだろうか。

無意識過ぎて全然考えたことがなかった。

心の中で思い浮かべる言葉とどれだけの違いがあるんだろう。

 

でも誰かを恋しいとはまったく思わないんだ。

孤独って恋しさとは性質が違うものなのかな。

誰に縋りたいわけではない。誰かにそばにいて欲しいとか考えてない。

ただ、満たされてないなって思っただけの段階。

 

そう言えば初めて自殺を考えた病み初心者だった大学生の頃

自分で自分の頭を撫でたことがある。

かつては親がよくしてくれた子供を褒める表現で

その当時は付き合ってた人が慰める時にしてくれた記憶が色濃かったものだった。

最初は自分で自分の頭を撫でるなんてバカバカしいと思ったけど

たまたま手がおでこに触れて前髪がくしゅっと潰れた感覚に謎の安心感があって

試しに撫でてみたら割と効果があったんだ。

頬に柔らかい布が触れているのも落ち着く。マフラーは嫌いだけど。

 

身体的に虐待された場合は少し触れられるだけで怯えるように

身体的に肯定された場合は少し触れるだけで安心も出来ると知った。

肯定された記憶があって良かったと思う。

 

笑い話として人に話すには抵抗の強い自己紹介だけど

こういう守り方もあるんだなぁと。

無意識だった自分のことを分析してもうちょっとよく知りたいと思ったメモ。

高いお金でカウンセラーをつけていた時期もあったけど

対処療法のように今の気持ちや症状を聞いたりロールシャッハとかするばかりで

人格形成の根底を掘り下げてくれることがなかったから自分でやる。

少しでも生きやすい世界になってほしい。