吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

父のこと

今日は1ヵ月ぶりの診察だった。

直近の数日が安定してるとずっと安定していたような気になってしまうけど

暇を持て余した両親から連日不要不急の連絡があってその度に悪夢を見ていたことや

生理がずっと来ていないことなどを伝えた。

でもまぁほぼほぼ今は落ち着いていると思う。

 

「両親からの連絡が疎ましい」という感覚を分かって貰うのは難しい。

そういう年齢なんだし、とかで片付けられがちだけど違うんだ。

父と一緒に暮らしているのが苦痛で独り暮らしを始めたのだと言っても

なんか全然先生に伝わっている感じがしなかったので

カウンセラーが反応を見せていた

「嫌悪感だけならまだしも、罪悪感まであると辛いですね」という

後者のワードを出してみた。

 

すると先生は

「親だって何でも話を聞いてくれるわけじゃないんだから

こちらもある程度は無視したり全部に全部真剣に向き合う必要はないんですよ

職場の人や友人とは違って親はずっと縁が切れないのだから

苦しいまま付き合うより距離を置くのは正解ですよ

罪悪感を抱く必要はないから大丈夫」

と言っていた。

 

このツイートを思い浮かべた

https://twitter.com/surigoma2012/status/1247366074707763202?s=20

 

その発言の中で、私の母は「何でも話を聞いてくれる人」だったなぁと思った。

親身過ぎて過保護なところがとても強くあった。

めちゃくちゃ向き合ってきて、理解するために奥まで入り込もうとする人だ。

だからこそ、意向を無視するということが強い攻撃性を持っていて

大きな罰として有効だった。

ある意味とても繊細な者同士だから成り立つやりとりだったんだろう。

 

世に出れば鈍感力をある程度持つ方がいいとされ

当たり前のように「スルー」する人で溢れかえっている。

中途半端に私もその技を身につけたけど

母の生き写しのような私は、母の想いが手に取るように分かってしまう。

冷たくされてどれだけ寂しく思うかを分かって冷たくしている。

罪悪感を持たずにいられようか。

だけど正義感だけじゃ意欲はわかないから困っているんだ。

コロナで死亡する高齢者たちに自分の親が含まれる可能性は十分あって

このままもしもう一生会話出来ないままだったら?ということを最近はよく考える。

 

父からは本当に返答に困るLINEスタンプ1つが無言で送られてきたりもする。

単身赴任の父と2人暮らしをしていた10年間

父の生態が不愉快でたまらなくて逃げ出すように家を出た。

最後のきっかけは冷凍庫の製氷皿に父が生肉を入れるので注意したら

「お前がアイスなんか買ってくるから冷凍庫がパンパンなんだろうが!」

と顔面に向けて人差し指を突き付けながら逆切れされたことだった。

実際は父用の冷凍食品が半分以上だったんだけど

彼は基本的に自分のことを棚にあげるので冷静さなどはそこにない。

 

雑菌とか賞味期限とかの価値観が基本的に合わない人だった。

恋人や友達と合わないなら育ってきた生活環境の違いだと納得するけど

家庭内でこうも違うのはなかなか珍しいかもしれない。

思春期の娘が父を嫌ったまま、その関係が延長戦に入った感じ。

父は洗顔の際に口から全力で息を吐く。

溺れると思っているらしく、ぶばばばばばばば!と勢いよく吐くので

当然水が辺りに勢いよく飛び散る。

洗面所の鏡はいつも白濁した水しぶきがいっぱいついていた。

気持ち悪くて触るのも嫌だったけど文句を言いながら掃除するのはいつも私で

注意しても「汚しているのはお前もだろ!」と連帯責任にされていた。

 

私はお風呂に入る時、浴室がカビ臭いのは苦痛に思う。

だから浴室の換気扇は24時間フル稼働させていたかった。

でも父はイチイチそれを切るし、ガスの電源も毎回切る。

私がシャワーを浴びるタイミングでわざと食器洗いをはじめ

こちらの水圧が下がる嫌がらせのようなことをするのも日常茶飯事だった。

何度言って何度分かったと言っても繰り返す。

ボケているのか、わざとなのか分からなくて

換気扇については了承を得た上で父が忘れて切らないように

わざとマステで消すスイッチを押せないようにしたのに強引に剥がされていた。

口頭で再度言うと再び喧嘩になって、話し合いは成立しない。

父が絶対で、私は泣き寝入りするしかなかった。

 

父は週末婚状態で週末は実家に帰って、週明けは実家から出勤していたので

私は週の半分くらいは独り暮らし生活が出来ていた。

でもたまに予定があると実家に帰らずこちらに帰ってくるので

共有スペースに広げた荷物を慌てて片付けなければいけないこともあった。

食事を一緒に取らない私たちの間では基本的に事前連絡などはない。

ある時は共有スペースに物を広げたまま私が外出したタイミングで父が帰宅し

怒り狂った父は私の部屋の扉を開け

文字のごとく物を投げ入れて共有スペースから排除したことがあった。

帰宅した私は嘆き怒ったけど自業自得だと責められる。

叱り方があるんじゃないかと思うけど我が家はいつもこんな状態だった。

 

食事を一緒に取らないのも理由があった。

ほぼ料理が出来ないながらに簡単な男飯状態のものを自炊していたのだけど

自分が作るついでに父にも食べるかと聞いて提供したことがあった。

まずくはないけど本当に簡素なもので褒められたものじゃないのは分かっている。

すると父は二度目はもういらないとはっきり言ったのでへそを曲げたのだった。

愛娘が自分の為に食事を作ってくれるなんて感動!というタイプではないらしい。

 

ブレーカーが落ちるのもしょっちゅうあった。

電子レンジとトースターを同時に使ったらダメだと何度説明しても聞かない。

私は家でPC前にいることが多かったので、突然の停電はダメージが大きかった。

その度に「だから言ったのに…」と言うとお得意の逆切れ。

TVつけて、暖房つけて、レンジにトースターを使っていた父と

暖房なしで部屋の電気とPCだけしか使っていなかった私。

「お前が電気をいっぱい使うからだろ!」

理不尽にも程があるし、毎回なんで怒鳴らないと伝えられないのか。

 

父はビートルズが大好きで、毎日のように家でギターを弾きながら歌っていた。

「素敵なお父さんだね」と人は言う。

ビートルズは私も嫌いじゃない。

私の行くライブでもカバーされることがあって興味を持って色々調べたりした。

父と食事をする機会があって共通話題をと頑張って話を振ったけど

鼻で笑われてものすごくバカにされたので歩み寄る価値はどこにもなかった。

歌詞について調べて「こんな内容らしいね」という話をしたんだけど

「薬やってたからラリった時に書いただけで意味なんてないんだ」という結末。

事実が父の言う通りならそれでもいいんだけど

私は父に歩み寄って興味を示したのにその言い方は不快だなと思った。

 

父は共有スペースで音楽を大音量でかけて、CDに合わせてギターを鳴らす。

私が家を出たのはこの騒音から逃げたかったのが1番の理由かもしれない。

騒音というか、ギターの音は嫌悪する父の存在感そのもので

部屋にこもっていても響いてくるその存在感に追い詰められていたからだ。

自室は唯一のプライベート空間で逃げ場所でもあったのに逃げきれない。

 

同居生活の終盤は聴覚過敏を発症して

「他人が出す音すべて」がものすごいストレスで発狂しそうな毎日だった。

外食先で他のテーブルの食器の音が鳴るのが許しがたいストレスだったり

話し声、咀嚼音、店内のBGMありとあらゆるものに強いストレスを感じて

始終ヘッドフォンで爆音を流し、外部の音を遮断するので必死だった。

 

家では無音を好むようになり、父が帰った途端に不快な演奏が始まる。

勿論何度も注意したが、その度父はバカにしたように目を丸くして黙るのだ。

「お前何言ってんの?バカじゃない?」という顔で話を無視し、煽る。

次第に私は父が帰る度にヤドカリのように布団に潜り込んで泣くようになった。

静かになるのをひたすら待って耐えていた。

殴られなくても家庭内暴力を振るわれているのと同じくらい心のダメージはあった。

家は好きだったけど、父のいる家はストレスでしかなかった。

 

父の還暦引退まであとたったの数ヵ月だったのに

私はもう我慢の限界で母に相談して家を出ると決めた。

その数ヵ月を待てば家電製品をすべて引き継いで独り暮らしを始められたのに

父が実家に戻る時にすべて無駄になるそれらを廃棄し

私は貯金を切り崩して1から買い揃える方を選んだ。

それだけ嫌だった。

 

一人暮らしを始めて、ブレーカーが落ちることがなくなった。

突然ドアが開く恐怖感に怯える日々に別れを告げたのに

しばらくはまだ誰かが勝手に入ってくるような気がして怯えていたっけ。

洗面台の鏡が汚れない。お風呂がカビ臭くない。

置いておいたものが勝手にどこかにどかされることがない。

家が静か。

ただそれだけのことが嬉しすぎて、引っ越しから半年くらいは感動してよく泣いた。

 

そんな父から謝罪の言葉も仲直りの流れも何もなく

暇だからと絡みを求めるLINEがくるのだ。

「親が嫌で連絡のあった日は悪夢を見ます」

その言葉では伝わらない私の想い。