吾輩は吾輩である

どこかに理解者いるのかな

何もかもメイク落としで消えたらいいのに

昨日、4か所目の病院の初診に行った。

 

先生はちゃんと私の顔を見て話を聞いてくれて

カウンセリングを希望したら診察の中で10分くらいなら話を聞けるけど

それとは別に週末時間を取りたい?って聞かれたので

担当医が親身に話を聞いてくれるのは嬉しいなと思って

通常の診察のみを継続する方向でお願いした。

 

マシンガントークのようにばーっと喋ったけど

多分、全部はうまく伝えきれなかったと思う。

でもその上で先生に尋ねた。

「先生から見て私はどんな病状に見えますか?」と。

 

すると先生は「鬱症状だけどうつ病ではない」と言った。

なんとなく納得のいく発言ではあったから同意した。

以前本当に鬱だった時とは違う感覚、それより軽い感覚はあるし

うつの手前と言った2つ前の病院の医師の発言も間違ってはないと思う。

 

だけど、診察が終わって「鬱症状だけど鬱病じゃない」があまりにひっかかって

そんなことってあるんだろうかと思い悩んでしまった。

検索しても出てくるのは鬱症状の特徴ばかりで

早めに病院にかかりましょうとか、セルフ鬱チェックとかそんなんばかり。

 

唯一気になったのは『「私はうつ」と言いたがる人たち』という書籍だった。

タイトルからも推測できる通り

感想文やレビューにはそんな「人たち」への批判が連なっていた。

中には「著者の偏見の羅列」という声もあったけど

休職届を出して海外旅行に行く矛盾を突いたりする

「仮病」や「甘え」という分析を羅列したもののようだ。

鬱ではないのに鬱に寄ろうとする私はそんな批判対象でしかないのだろうか。

 

検索していくうちに「非定型型うつ」に目がとまった。

名前は知っていたけど症状が自分にあてはまると思って詳細を読んだことはなかった。

夕方から夜にかけて体調が悪化、鉛のように体が重くなる、過眠、過食。

毎日すべての症状がビンゴではないにせよ、とても近い気がした。

 

前回書いた記事のカラータイマーは夕方から夜になるとふっとスイッチが切れる症状。

感情が爆走して大泣きして死にたくなるのも深夜。

というのも、日中は理性が頑張れるのだ。

定時に起きて仕事に行って、時間通り仕事をこなし、職場を出る。

そこまではなんとかなるのに、縛りがなくなった瞬間に心が行き場を失う。

何かをしなくちゃいけない、という概念がなくなると何がしたいか分からなくなる。

家が近づくにつれて動機や不安が膨らむのも同じ。

足取りは重く、どこに向かっていつまでに辿り着けばいいのか分からない。

泣きながらなんとか帰宅する足は、鉛と言えばまぁ鉛だ。

 

抗不安薬とかそっち系の薬は副作用に眠気が強く出るものが多いから

過眠について深く考えたことはなかった。

ただもう帰宅した時はへろへろで、独り言すら口にする元気もなく

黙々とバッグをおろし、服を脱いで手足を洗って、シャワーも浴びずにパジャマを着て

すぐにベッドに横になる。

靴を脱いでからベッドにたどり着くまで5分もかからない。

部屋の電気はほぼつけないまま夜を過ごす。

最近はずっとそんな生活だった。

 

食欲旺盛なのはいつものことで、おいしいものを食べるのが趣味。

職場付近はオシャレで美味しいごはん屋さんが山ほどあるので

飽きることなく外食三昧を楽しめるし

本当においしいものを食べた時ってものすごい多幸感があって

「最後の晩残はこれにしようって決めてるけど

こんなの食べたらまた食べたくなるからもう少し頑張って生きようって思える」

それだけ価値を感じる大好きなごはん屋さんもあるくらい。

 

お酒もタバコもギャンブルも手を出さないけど

スイーツは大好きで、まぁそりゃお金もかかるし太るよねっていう。

非定型型うつの症状に「過食」とあげられても

私にとっては日常なのでその点は自覚がない。

 

で、問題なのはこの病名に対する世間体ですよ。

 

今のところはまだ先生に病名を告げられてないけど自分の中でコレと仮定してね

「非定型うつ」は普通の鬱と違うわけじゃないですか。

1番大きな差は「鬱は何をしても沈んでるけど、非定型は楽しいものは楽しい」

っていう、楽しんでる姿が決して重症っぽくないところ。

「新型うつ」の定義はどうやら曖昧らしいけど同種とみなされることもあり

検索候補ワードに「甘え」って出てくるくらいには理解されない病名。

 

私自身分からない。

もし私が健常者だったとして社内に休職手当貰ってる子がいたとして

毎日遊び歩くSNSが社内で話題になったら皆の顰蹙を買うのは目に見えている。

その正体は嫉妬だ。

 

自分だって毎日乗りたくもない満員電車に乗って

理不尽で面倒な仕事をこなして、人のご機嫌伺いながら人間関係保って

疲れた体でまた満員電車に乗って

そうやって頑張った報酬としてお給料を貰っているのに

毎日遊び歩いてる「だけ」で同じ給料が発生するのは許せないって思うよね。

自分だって嫌なことあって落ち込むことだってあるけどなんとかしてるのに

それを表に出して診断書さえ提出するれば休職が認められるのズルくないかって。

 

でも「つらい」の度合いがさ、普通の人のショックとは違うんだよ。

何も手につかなくて胸が苦しくて理由もなく悲しくなって

色んなフラッシュバックが起きて自己否定の闇に包まれて号泣して

死にたくて死にたくてでも死ぬところまで踏み切れなくて

誰に助けを求めたらいいか分からなくて、誰も思い当たらなくて

結局自分の中に押し殺してやり過ごすしかなくて。

フラッシュバックが激化するとパニックになって泣き叫ばずにいられなくなったりもする。

それを「私だってつらいのに」って同等に並べちゃうのは変だよ。

 

これだけ辛いのに、お医者さんは私に病名をくれない。

甘えなのか、うつ病になりたがっているだけの自堕落なのか。

気の持ちようでなんとでもなることを大袈裟に喚いているにすぎないのか。

こんなにつらいのに、こんなに苦しいのに、誰もわかってくれないのか。

症状だけ認められて、薬は効かないだろうと言われて、じゃあ私はどうしたらいいの。

 

我慢のタガが少し外れて

鍵つきツイの仲良し友人だけしか繋がってないところで少し愚痴をはいた。

3つのアカウントで合計8人が見ている場所にそれぞれやんわりと書いた。

反応してくれたのはたった1人だった。

寄り添ってくれるわけではなく「書きたいこと好きに書くのはいいと思うよ」とだけで

誰も心配したりせず、視界に入っていないかのように呑気な投稿を真上に連ねた。

 

そうなる予感はしていたし

楽しいことを共有する友人っていうのは闇には深入りしないパターンが多い。

直接的に1人に向けてLINEで相談することも出来たけど

表向きの優しい対応とは真逆に迷惑がられる本心が想像ついたり

真剣に向き合ってくれても全く的を得ない「傷付く感覚を知らないお嬢様」だったりで

勇気を振り絞って打ち明けようという気は起きなかった。

 

そう思ったら悲しくて悲しくて泣き始めて止まらなくて

レキソタン10mg飲んで、それでももっと飲みたくて

赤いボールペンを探した。

残念ながらうちには赤がなくてピンクとオレンジと水色と青と黒しかなかった、

いつも仕事中にリスカ代わりにやる赤線と同じタイプの青いボールペンで

「これじゃ気分が出ないなぁと」思いながら線を引いた。

泣きながら何本も何本も線をひいた。

しばらく泣いた。

 

家の中を見回して、ロープをつるせる場所を探すけど案外ないもので

マンションの通路の柵がいいだろうか、深夜の公園とか外に行こうかとか

いつか来る日を想像しながら死に場所を探す目で景色を眺めて泣いた。

 

しばらくして落ち着いて、メイク落としで左腕を軽くこすった。

それはもうあっけない程にするっと一瞬で消えた。

ただ思いのほか筆圧が高かったようで、結局赤い蚯蚓腫れみたいのが無数に出来ていた。

ちょっとほてっている。

明日になったら目立たなくなるかな。

もう別になんだっていいけど。

 

ぐちゃぐちゃに壊れてしまいたいよ。

なんで私はこれでも正常であると診断されているのか分からないよ。

死んでしまえばいいのですか。

死んだら、私がどれだけ辛かったか分かって貰えるのですか。